文字という通信手段
「ある数字を二乗したら、9になりました。ある数字はいくつ?」という問題と、
「x^2=9のとき、xを求めよ」という問題は、まったく同じ内容を単に言い換えただけである。
後者の言い回しに抵抗の無い人間にとっては前者の表現は単に冗長で、むしろ理解を遅らせる。
ところで、問いの答えが「3」と思っている人は不正解。正解はもう少し後で書く。
AさんがBさんに何かを言った、とする。(言った、と書いたが、ここでは表情や声調を別にした、チャットやメールのような純粋な文字コミュニケーションを想定しよう。)
AはBに何かを伝えようとして言葉を発するのであるが、これは、
1. Aが、伝えたい内容を文章化する
2. 文章化した言葉をBに送る
3. Bが、その文章を解釈する
という3つの段階を経る。1をエンコード、3をデコードと呼ぶ。
理想的には、Aによるエンコード前の「伝えたい内容」と、Bによるデコード後の「伝わった内容」が完全に一致することが望ましいのであるが、現実には、必然的に食い違う。
文章化というエンコード処理によって、脳内のもやもやとした不安定な何かは、文字という確固とした記号に変換される。その時点で膨大な情報量が失われ、要約だけが残る。これは「非可逆圧縮」と呼ばれる。
一方、受け取り手のBは、そのあまりに質素で漠然とした要約情報を、それまでの会話の流れやAとの過去の共通の記憶などを総動員して補い、もともとAが送ろうとしていたのと同じくらいの体積に膨らます。
「誤解」とは、このデコード処理の失敗のことである。
現実にはほとんどの人間が、「答えを1つ得るとそれで満足してしまう」という習性を持っている。
冒頭の問いの答えは、3とマイナス3。2つとも答えてくれないと、数学的には不正解。
マイナス3を思いつかなかったということが即ち、デコード処理の失敗であって、「誤解」である。
日常の言語のやりとりにおいても、このように「解を網羅する」努力が重要であると思われる。
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