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ショートコント:メガネ君

「ねえねえメガネ君」
「ん?」
「いっつも眼鏡かけてるけど、コンタクトとか、しないの?」
「ああ、平日は仕事でずっとパソコンやってるから。メガネのほうが楽。」
「へー」
「メガネのほうが、ちょっと賢そうに見えるって言われるし。」
「へー」
「でも、休日はそんなこと気にしなくていいから、朝からメガネ。」
「メガネじゃん!」
「例外は、スポーツするときとか?当たると危ないからね、ちゃんと後頭部にバンドつけて」
「メガネじゃん!」
「外すのは、寝る前とかかなあ。壊れちゃうといけないから、形状記憶フレームにかけかえて」
「メガネじゃん!」
「そんなメガネ好きの僕ですが、シャワー浴びるときはさすがに水中メガネ」
「メガネじゃん!」

おあとがよろしいようで。

1ヶ月で5kg痩せたら全額返金!

10万振り込むと、「よし、がんばれ!」って書かれた葉書が1枚届くの。

どうよ、この商売。元手かからないし。

たとえばこんなイタリアン

シェフの気まぐれ直送サラダ

「んーと、今日はテューズデイだから、トンガ」

なめらかな高速料金

「インターチェンジで時刻を記録してるのだから、本来かかるはずの時間が経過するまで出口を出られないようにすればいい」
これは、母高校の倫理の先生のアイデアである。大変素晴らしい。

容易に想像のつく欠点として、出口付近の混雑が上げられる。ペナルティを高くしすぎると、早く着いてしまったので出口で待機しよう、ということになってしまう。
一方で、事故などが起きた場合、せっかく高速に乗ったのにむしろ下道より遅くなってしまった、なんて場合にも高速道路料金は固定されているということに対する不満もある。

一挙に解決するのが、「なめらかな高速料金」である。

適正な速度で走行した場合には、適正な高速料金が課される。
それより遅かった場合には1分単位で料金が割り引かれ、下道で行った場合以上のの時間がかかった際にはゼロ円となる。
制限速度以上で到着してしまったときには、分単位でペナルティを課す。例えば、1分50円。20分早く到着してしまうと、1000円余分に支払うことになる。これらは道路交通法違反に対する罰金として国に納入される。

これは「なめらか」の一例。「なめらか」には、他にも多くの応用があり、IT化する社会を語る上で欠かせない概念となっている。思いついたらまた続きを書こう。

うつ病は風邪と同じ

普通に健康的に生活していれば何年間も縁の無いことも有り得るが、ちょっと無理がかかった場合、環境が変わった場合などに、誰もが罹りうる。
軽症のうちに自覚し適切に対処すれば、自力で治せる場合もある。
日常生活に支障を来たす程度になった場合には、家族や職場の人間などの助けが必要。処置が正しければ、医者に行かずに済む場合もある。
重症になれば医者に診てもらって薬を処方してもらう必要がある。薬だけではなく休養も引き続き必要だし、慢性的な場合は生活を改善する必要があるかもしれない。
医者にも行かず、周囲の人間にも見放され続ければ、合併症に見舞われ、死に至ることもある。

風邪を引いた人間に対して「本人の努力が足りない」とか「生まれつきそういう素質を持った人だ」とか「面倒なので関らない方が良い」などと言われたら、戸惑うだろう。
同じ事を、うつ病の人間に対しては平気で言う人が実はけっこういるみたいで驚く。

過剰に世話を焼きすぎる人も少なくない。
心配するあまり、自分の体調を崩したりして。
自分の管理をしなかったのは自分の責任なのに、「もう関りたくない」とか言うから驚く。

驚いていても仕方が無いので、義務教育に含めるべきでは、と提案してみる。
未知の病気でもなんでもないし、対処法もほぼ確立している。
患者の数も、風邪と同じくらいのようだ。

OBに代わる言葉は無いのか

OB会、などと気軽に使われるこのOB、実はOld Boyの略でしかも和製英語、海外では通用しないというのだからかっこ悪いことこの上ない。
しかもBoyなんていう単語が入っているものだから仕方なく気を使ってOB・OGと言ってみたりする。OGはもちろんOld Girlである。
そしていざ会場を見回してみるとBoyもGirlも一人も見当たらなくて、オジサンオバサンばかり。ひょっとしてOGさん、OBさんの略なのか、なんて。あれ、性別が逆だぞ?なんて。
Old PersonでOPというのも提案されているようだが、OP会って。むしろ新入生が来そうな若さを感じてしまう。

じゃあ海外ではなんて言うのかと調べると、almuniなんていう単語が出てくる。発音はアラムナイでラにアクセント。
誰が聞いても宗教法人を思い浮かべそうな音感である。アラムナイ・メンバなんて言葉が日本で市民権を得る日は永久に来ないことが明白だ。
まして、almuniもよくよく調べると男性名詞だってんで、より正式にはalmuni and almunaeっていうらしい。ちょうどミレナリオとルミナリエみたいなものだろうか。

OB会、という語感は非常に良いのである。だから、OBという文字は残し、実はOld Boyじゃなくて別の言葉の略なんですよ、って言えれば良いのではなかろうか。

Obsolete Backers (旧式の支持者)なんて、控えめに親切そうな感じ?
Oppressive Bother (強迫的に面倒な人)と言われないように気をつけねば。

辞書だけ見ながら書いた。英語センスの弱いのがばれそうだ。
要native check.

テロ対策の一案

マイミクのぽよろこさんの、「空港の保安検査が面倒すぎる」 という日記を読み、僕も根本的なテロ対策を考えてみました。

まず、飛行機に自動運転モードもしくは遠隔操作モードをつけます。一度そのモードに入ったら機内からは決して復帰できないという仕様です。
ケータイのリモートロックみたいなものです。
GOスウィッチは、ボディガードを引き連れている飛行機会社幹部だけが持っています。
テロの危険が確認され次第、管制塔から特殊信号を発し、該当機は制御不能となって近場の海などへ着水します。
この一連のシステムにより、9・11のようなハイジャックによる大惨事は不可能となります。
テロに飛行機を利用する大きな動機を奪うことになります。
実現可能性も決して低くないでしょう。

しかし若干の問題が残っています。機内乗客の安全です。
状況は地下鉄テロと同じで、密室である故に対策は困難です。
用心棒を雇うとかはダメです。逆にテロリストに利用されてしまいます。

ここで、喫煙、禁煙の発想を応用します。
テロ許容機と、テロ禁止機の区別をし、乗客が選択できるようにするわけです。
テロ許容機を選択すると、保安検査をパス出来ます。
その代わり、同じ飛行機にテロリストが乗り合わせるという極めて低確率の災難に見舞われた際には命の保障はありません。
保安検査がどうしても嫌な人はそれに乗ればよいわけです。そして、極めて相応しいリスクを負うわけです。

ついでなので、「喫煙可能機=保安検査無し」としても良いかも。
テロで亡くなる確率よりタバコで亡くなる確率のほうがずっと高いので、愛煙家=テロに巻き込まれるなど屁とも思ってない人、と解釈しても差し支えないでしょう。(しかもぽよろこさんにとっては一石二鳥!)

保安検査有りだからといってテロの危険がゼロになるわけではありません。
ですが、ゼロにはならないにせよ間違いなく危険性は低くなっているはずです。
保安検査の厳しさに応じて、危険性は低くなります。
ということは、有り、無しの2択ではなく、厳しさに応じて5段階とかに分けるのも良いでしょう。
最上級は「全裸」です。でもそうなると別の種類のテロリストに、などとあまり膨らましすぎると僕らしくないのでこれくらいに。

独創の星モデル

世界中のアーティストが、それぞれ10作品を作ったとしよう。これらが強い引力によって結び付けられ、宇宙空間で1つの星になって浮いているのをイメージしてほしい。
ピアノやら石像やらが、ちょうどカタマリダマシイのようにくっついた星だ。
作品の材料は「独創」であり、創造力の強いアーティストほど大きな作品を作る、としよう。
星には重心が存在する。重心とは、平均値のことだ。重心から離れるほど、独創的である、としよう。

自分の足場をこのあたりと定めて作品を積み上げてゆくと、ゆるやかな丘になる。
或いは空に1つの目印を決めて、ひたすらその一点へ向けて作品を慎重に積み上げてゆけば、細く高い塔になる。
細すぎる塔はまもなく高さの限界を迎える。土台を固めなおして更なる高みを目指しても良いし、置き去りにして別の土地に別の塔を建てても良い。あまり離さずに2つの塔を建てることが出来たなら、上空に連絡通路を建設可能かもしれない。

高いところへ登れば視界がひらけ、近隣の高い塔を発見出来るだろう。
しかし、どんなに高く登っても星の反対側までは視界に入らない。

充分に近いか、充分に差がない限り、2地点の高さを比較することは容易ではない。
アーティストは皆、それぞれ自分の巻尺を持っているが、自分自身が登ってみないことには高さを計ることが出来ない。
もちろん、他人の巻尺の数値はあてにならない。

人間は生まれた瞬間、この星のほぼ重心に位置する。
しばらくは他人の作り上げた構造物を上へ上へとよじ登る。
ある人は未開拓の平地をみつけて、そこに自分の作品で丘を作る。これが「独創的」だ。
ある人は先人の建てた高い塔をよじ登って、そのてっぺんに自分の作品をちょこんと乗せる。これも「独創的」だ。

50mの塔のてっぺんに10cmの作品を積み上げたりする。
小さな作品であっても、頂上に積み上げることが出来たならそれは快挙だ。
なにしろ、その高さまで登ってきたことが既に快挙だ。
同じ塔のてっぺん付近にいる一握りの同志たちから賞賛の拍手を得るだろう。
少し離れたところにいる人々からは、10cmの作品は小さすぎて見えないかもしれない。

あなたが実際に芸術家の渦中にいるなら、芸術の領域を星の表面すなわち二次元でモデル化したことに不満を示すかもしれないし、高さという一次元の単純化した評価軸ですべてを計ろうとすることに抗議するかもしれない。
あなたが数学者なら、言うまでもなくこのモデルを無限次元空間で一般化してくれるだろうから、弁解は不要なのだが。

ArtとEntertainment

以下のように定義してみる。

アートは自分の内から出るもの、エンタテイメントは他人に合わせるもの。
アートは自分を満足させるもの、エンタテイメントは他人を満足させるもの。

エンタテイメントの究極とは、より多くの観客を満足させることだ。
100人の「客」がいて、各々好きな果物を頭に思い描いているとしよう。
手元に1万円あったときに、どんな組み合わせで果物を買うべきかは数学的に求まる。
エンタテイメントとは、単純化すればそういうことだ。
人々が何を求めているかさえ明確なら、その場(field)には「最高のエンタテイメント」が定義される。
そこにエンタテイナが登場する以前に、既にそれは存在する。
エンタテイメントの究極とは、既に存在している隠された答えに、出来る限り近づこうとすることだ。
エンタテイメントには本質的に、独創性は要求されない。

人々はしばしば、過去に経験したことのない事を好む。これが問題を複雑化している。
この複合問題はまた今度考えることにする。

アートに関しては、2段階に分けて考えようと思う。

アートαの究極とは、徹底的に外界からの干渉を排除することだ。
自分の内側に向けてじっくりと耳を澄ませ、出来るだけ純粋な形でそれを掘り起こすことだ。
つまり、独創だ。

「独創」は必ずしも「独創的」ではない。
二人の人間が、それぞれ独自に創造したものが、たまたま同じ結果になるということは珍しくない。

「アートは自分のため」という冒頭の定義に純粋に従うなら他人の存在は一切関係ないのだが、一般には「他人にアートと認められるアート」という概念があるようなので、これについて考えたい。
第2段階として、「独創的」を追及しよう。

アートβの究極とは、他の誰も到達しえなかった領域に到達することだ。
これに関して、1つのモデルを考えているので後日紹介しようと思う。

バトンを「mixiメッセージ」で回してはいけない

blogとかmixi日記で回ってる分には無害だが、mixiメッセージで来たとなるとこれは「チェーンメール」に該当する。
趣旨としてはいわゆる「シークレットバトン」で、質問は水面下で回り、回答は公開する、というもの。
ただし、そのメールの最後に、「5人に回して(止めないで!)」という一文がある。これはmixi利用規約にも反するんじゃなかろうか。

昔々に見たシークレットバトンは、「質問は秘密!気になるなら回答者に聞け。ただし、その場合自分も答えること」というルールだった。このほうが気が利いているし、面白いと思う。

まあ、被害はmixiサーバに及ぶだけなので、本格的に問題になったらmixiの中の人が対応するでしょうが、一応書いておく。

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