カテゴリー ‘ essay

まじな まじない

なまじ なじまない

zero gravity (森博嗣風に)

さあどこまでも。落ちてゆこう。

上向きと下向きの引力が均衡するまで。

体重を感じなくなったら、きっと視界がひらける。

等方性の極座標軸に乗って。上も下もない。そうだ、自由度を1つ手に入れたんだ。

さあどこまでも。上ってゆこう。

気体分子が届かないところまで。

体重を感じなくなったら、きっと世界がひらける。

直交座標を自由にあやつれ。平行さえも、僕は疑えるんだ。

ソフトウェア開発技術者

取得しました。なんの役に立つのかよくわかんないけど。就活済んでるし。自己満足かな。合格率15%ってのは、いまいち自慢にはならない数字だ。

巨像虚像

「あの人の前では本当の自分になれない」「本当の自分を出せない」「本当の自分をわかってもらえない」

思い込みです。そもそも、本当の自分、なんてものは幻想です。あなたが隠しているもの、わかってもらいたいものは“本当の自分”なんていう大きなものではないんです。もっともっとずっと小さな。せいぜいその小さな手でどうにかカバーできるような、ちいさな秘密じゃあないんですか?

設計と製造

就職予定先から招待状が来たので、ビッグサイトで催された「設計・ソリューション展」(他2展)に行って来た。設計から資源、在庫管理、マニュアル製造にいたるあらゆる情報を一元管理、再利用しようという動きが急速に進んでいるらしい。僕の就職先もそんなIT企業の一つだ。

入り口で名刺1枚と引き換えにバーコードの付いた名札を受け取る。各ブースで名刺を渡す代わりに、バーコードをピッと読み取ってくれる。かなりの量の紙の節約になると同時に、各企業が個別に名刺を打ち込む手間もなくなる、素晴らしい仕組だ。原色ベタ塗り衣装を着たコンパニオンが景品と引き換えにバーコード読み取りを要求してくる。こういうバイト、面白そう。僕が女の子だったらね。

簡単に言うと、設計部門と製造部門に分かれていたのだが、この両者の格差が面白かった。製造部門にはコンパニオンは一人もいなくて、抽選会もなし。前世紀と新世紀みたいな差だ。製造部門には「中国」と銘打ったエリアが設けられており、中国の企業が自社のサンプルをたくさん並べている。一方で設計部門には「中国進出をお手伝いします」なんていう国内コンサル企業がスペースを構えている。なんだこれは。世界の縮図を見たような気分。

chaotic locus

attractorに螺旋に落ちて 最早 周期も安定しつつ

希薄ながらも無限に張った 交錯しない蜘蛛の糸

体を撫でて過ぎてゆくのに つかめない つかめない

「もう落ちようよ」って声が聞こえる 「所詮小さな渦なのだから。」

未来記憶

「大人になれば分かるよ」っていうのは、「僕は子供の頃のことは忘れてしまった」っていうのと同義だ。過去は記憶に残っているという錯覚。残ってなんかいない。今、この瞬間に感じてる五感の全入力のうち、ほんの一握りしか、残ってなんかいない。それが実は、未来に対する予測の的中率と同じ割合だ、と神様に教えてもらったとしても、今の僕はあまり驚かない。未来も過去も、現在と比べたら同じくらい分からないのだ。ただ、未来の無知には敏感で、過去の無知には鈍感だ。それだけのことだ。

と、ここまで書いて、自分の間違いにうすうす気付いてはいるんだけど、思想としては面白いし対称性が美しいので、これはこれでそっとしておこう。

春と修羅と量子

春と修羅 第一集 序 より。

わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)

なにやら量子論的な世界観を背後に感じてしまうのは、僕が量子論好きなせいか、量子論しか知らないせいか、あるいは、事実、彼がそれを意識しているのか。

こんなときは、ネットで検索。あれ?

あたりまえ?

そんなのあたりまえじゃん、と、口走るまえに、他の可能性を考慮できない自分の想像力のなさを認識すべきだ。

return top