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血液型トークの楽しみ方

血液型トークが始まってしまった時、これを平和的に回避するのは案外難しい。

「人間の性格が4種類のわけないのに、馬鹿じゃないの」
「そんなに血が好きならドラキュラの子になっちゃいなさい」
と、いうような、頭ごなしの否定は解決を生まない。

「あの人達は4種類しか性格を区別出来ないのねきっと」
「他に話題が無いんでしょ、可哀想な人たち」
と、いうような、皮肉めいた陰口も、問題の解決には何ら寄与しない。

マーケティングの有名な例題で、「もっと速い馬が欲しい」という話がある。
顧客が本当に欲しいのは馬ではなく「もっと速い移動手段」なのだが、顧客は馬より速い乗り物を知らないのだ。

この切り口で考えてみよう。
そもそも、何故彼らは血液型トークをしたがるのか?
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説得の技術、人狼ゲームのススメ

一昨日は、僕の人狼仲間の結婚式だった。というわけで記念投稿。
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ディベートという「ゲーム」がある。
これはどういうわけか、あまねく学校教育に導入されているようである。僕も学校でやった。
割と得意なつもりだったように思う。

ディベートは、理不尽な口論にならないよう、いくつかのルールが定められている。
通常、ある議題に対して賛成と反対のいずれかの側に立ち、チーム戦をする。
チームに加わったら、たとえ自分自身がその意見に同意してなくても、チームの意見に乗る形で発言をせねばならない。

ディベートは何の練習なのか?
論理思考力の訓練だと言う。それはあるかも知れない。
(本音を言うと僕は、「論理思考力を養う」という感覚がよくわからないが。)
客観的視点を持つ訓練だと言う。それもあるかもしれない。
説得力の訓練だと言う。ディベートというのは「相手を説得するゲーム」であるから、これは当然だろう。

本当にそうか?ディベートは説得なのか?

より的確な言葉を言えば、「論破」だろう。ディベートのゴールは論破だ。

論破=説得か?

これは実に、僕が三十路を過ぎるまでずっと誤解していたことだ。(恥ずかしながら!)

説得というのはつまり、相手を自分の意見に同意させることだ。
その為の手段の1つして、論破がある。

記憶を辿ると、僕は二十歳くらいまでずっと、説得の主な手段として「論破」を使用していたように思う。
当時の僕が付き合ってた友人達との間では、それで良かったのだ。
「論破=説得」で、それ以外に無い。それが普通のことだとずっと思っていた。
もちろん、僕が論破されることもしばしばあった。そういう場合は「僕の負けです」と認め、意見を修正する。
そこには一切の駆け引きは無い。極めてスピーディなコミュニケーションである。

そんな僕もやがて、「論破だけでは足りない」ということを知った。
「純粋な最短の論破」がしばしば事態を悪化させるという体験を重ねた。
ちょうど僕は手品を通じて、表現やパフォーマンスに興味を持っていたので、言い方を工夫することで相手に言葉を届きやすくするということをいろいろと試行した。
しかし結局、根底にある方法論は論破だった。
相手の間違いと自分の正しさを客観的に証明すること。僕は本当に、これ以外の説得の手段というものを長らく知らなかったような気がする。

2010年、僕は「人狼」というゲームに出会った。
百戦錬磨どころか千戦錬磨の人狼プレイヤー達の会合にひょんなことで飛び込み、僕はそこで恐ろしいものを見た。
世の中には、ぞっとするほど説得の上手い人間がいる。あまりにも華麗過ぎて、「説得された」という自覚すら与えられないうちにゲームは終わり、彼らは勝つ。ただ彼らの勝率が、その隠された「本当の意味での説得力」の高さを静かに語る。

そうして僕は「人狼」というゲームにはまり込み、2年ほどして、少しは「らしい」プレイが出来るようになってきたところだ。

人狼ゲームを散々やった中で、僕が学び取った「説得」というものを、ここに文章で書き表してみよう。
きっと言葉で書けばいかにも当たり前の、どの本にも書いてあるようなことだろうと思うが。

説得はまず、観察から始まる。
人狼ゲームにおいても現実の会議においても、議論に参加しているのは複数のプレイヤーだ。チームは明らかになっていない。
まず見極めなければならないのは、誰が味方で誰が敵かということ。これはゲームのルール上の意味ではなく、所属部署などという表面的な意味でもない。もっと具体的に言えば、誰が僕に好意的で誰が否定的か、ということだ。最初はわからないが、会話を重ねるうちに段々と見えてくる。もちろん、ダイナミックに変化していくので、一度見極めたからといって油断はできない。

味方同士がお互いを認め合うと、次第に場は2、3のグループに緩やかに別れていく。
だがここでも観察を怠ってはいけない。表面上は敵のチームに属していていも、実は水面下で僕の味方をしようとしてくれるプレイヤーがいるかもしれないからだ。もちろんその逆もある。
誰もが味方には油断するから、その隙を突こうという戦略が当然生まれる。これは現実の会議でもきっとあることだろう。

敵味方の次に見極めるべきは、敵の中の誰を説得するか。
敵の中心人物一人を狙い撃ちにしてうまいこと説得出来てしまえば、オセロがひっくり返るようにして揃ってころりと味方してくれる可能性が高い。
あるいは、中心人物は頑固者で意見を変えそうにないので、その一人を残して取り巻きを狙うほうが良い場合もある。
人狼では必ずしも常に全員にむけて発言する必要は無いので、席の近い人にだけ聞こえるようにして敵の「中心人物」への不審を植え付けるというようなことも出来る。そうやって一人ずつ引きはがしていく。
数が大事な局面ではそれが有効だ。(もちろん、頑固者を説得する以外に勝ち筋が無いという場面もしばしばある。)

説得のターゲットを決めたら、フォーカスを絞って、「どんな説得が有効な相手か」を見極める。
ここでようやく手段の1つして「論破」が挙げられる。だが、決して良い手ではない。
多くの場合、論破以外の方法が取られる。撹乱する、情に訴える、感覚を刷り込む、などの手段がある。

最善手は「流れに乗せる」ことだ。
議論の場には、様々な流れが渦巻いている。
その中のひとつに、僅かばかりの介添えで乗せてしまう。これが綺麗に決まると、説得された当人は「説得された」と感じること無く、「自分の意志で意見を変えた」としか思えない。

流れというのはいかにも抽象的な言葉だが、数学の分かる人向けに言えば、「個々のプレイヤーの心境と発される言葉のベクトル場における流線」というようなものだ。1つ1つの対象ではなく、場の全体をぼんやりと俯瞰することで初めて見えてくるのがすなわち「流れ」である。

説得の境地は、「流れを作って、乗せる」これに尽きる。
それに必要なのは、ミクロからマクロまで全てのフォーカスで同時に場を観察し続ける能力である。

そんなこんな、長々と書いたが、何はともあれ、今の僕は「論破は説得ではない」ということを知っている。
しかし今もなお、論破こそ「一切の駆け引きの無い、極めてスピーディなコミュニケーション」と信じているし、それが通じる相手とはそれで会話したいと願っている。
現実の会議には、ディベートのように「自分の立場を途中で変えてはいけない」というルールはないわけで、どんなに自分の意見に自信を持っていても崩されたと分かったときは速やかにそれを捨てるべきだし、論破した側もそこに敬意を表するというのが、僕の思う、至高のコミュニケーションである。

“Hold on tightly, let go lightly.” -Peter Brook-

素振りの効用

野球やテニスのようなスポーツをこれから始めようという人は、きっちり素振りをすると良い。
100回ほど振ると、筋肉が痛んでくる。痛み始める部位は人によって違う。肩だったり、二の腕だったり、手首だったりするだろう。

重要なのはここからだ。

少しフォームを変えてみよう。どのように変えるかというと、いま痛み始めた筋肉を使わないように変えるのである。
特定の筋肉が真っ先に痛むというのが、即ちその人のクセであるから、その筋肉を使わないようにフォームを変えることは、クセを直す事に相当する。

そのようにして素振りを繰り返す事で、フォームは必然的に「最も合理的なフォーム」へと近づいてゆく。石が転がって角の落ちるが如く、フォームの角が取れて丸くなってゆくのである。

どんなスポーツにも共通して言える事は、如何にして小さな筋肉の力を抜き、大きな筋肉へ負担を集めるかという事である。小さな筋肉とは、手首や足首、二の腕のことであり、大きな筋肉とは、肩、腰のことだ。

発声もスポーツである。強く大きな声を出すには、いまラケットの素振りについて言った事とまったく同じ理屈が適用出来る。喉を痛めるのは、フォームが悪いのである。喉を痛めた時は、より正しいフォームを身につけるチャンスでもある。

もっとも、ここまで述べたのは全て「フルスイング」のための理屈であって、勝負に勝つ為にはもっと多様なフォームも必要となる。

3人かける4人で12人?

先日何気なく tweet したこの問題、「そもそも何が問題なんだ?」という問い合わせが多かったのでまとめてみた。

掛算の順序とは違う話だけど、「人が縦4列、横3列に並んでいます。全部で何人ですか?答え:12人」という問題の「単位」について考えだすと、これまたややこしい話になって面白い。これは以前森博嗣が話のネタにしていた。
@kuboon
Ohkubo KOHEI

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単位に騙されない

  • 「毎日100円ずつ」と「年間で3万6500円」を「同じ」と感じるのが正常だ。同じなんだから。 #
  • ちょっと話が大きくなるが、「詐欺にひっかかりにくくする」というのが義務教育の重要な使命の1つであると僕は考えており、その為に必要な感覚の1つとして、「単位が変わっても、同じ量を同じと感じる」ことが大事だと思っている。 #
  • 「タウリン1000mg」を「タウリン1g」と書いたらきっと売れない。が、実際1gしか入っていないのだから、単位を買えただけで売れてしまうというのは要は「騙されている」のである。 #
  • そういえば、と、昔「1000ガウス」の売り文句だったピップエレキバンのサイトを見たら、いまはちゃんとSIに倣って「100ミリテスラ」と表記してるのね。偉い。笑 #

場の流れを読む

先日、24メートルの布が必要になり、日暮里の繊維街へ出かけた。

正確に言うと、6メートルの布4枚を必要としていた。幅は1.1メートル。
これは結構な長さで、それだけの在庫が残っている布はあまり種類が無かった。

そんな中から、良い色と質感のものを見つけたので、店員に在庫の長さを測ってもらった。
20メートルだった。
ちょっと足りないが、5メートル4枚でも良い、ということになったので、買うことにした。

5メートルを4枚ください、と頼もうとしたら、
「1カット目は無料、2カット目以降は1カットあたり500円」
という張り紙があった。

たかだか幅1メートルの布を切るのに500円かかるとは何事か。
これは実質的には「カットお断り」ということである。購入の為のカットは当然するが、それ以上のカットはお客さんがやってください、店員に雑用を頼まないでください、と、そういう話である。

もちろん僕が、「5メートルください」といって購入するのを4回繰り返せば、ルール違反にはならないので店員は文句を言えないはずであるが、もう子供ではないので、そういうセコい手段は避けるようにしたいものである。
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「疑わない」技術

「疑うことを知らない」のは、良いことか悪いことか?

多くの人間が、自分を疑われる事に対して不快を感じる。自分を信じてくれる存在を欲する。故に、「自分を疑わない人間」は、嬉しい存在である。
一方で、世の中には、他人を陥れようと常に企む連中が存在する。自分の家族、友人、恋人が、そういった罠に年がら年中ひっかかっるとすれば、これはもう、困った問題以外の何物でもない。「他人を疑わない人間」は、困った存在である。

自分のことは信じて欲しいが、他人を信じるのはほどほどに。これが、人々の平均的な希望と言ってよい。

都合、良すぎるよね。

まあ、そんなもんだ。

「如何にして人を信じ、如何にして人を疑うか?」
これは難しいテーマである。
難しくて答えることが出来ない、という人であっても実際には常日頃人を信じたり疑ったりしているはずなので、つまり、言語化されていないにせよ何らかのモノサシは誰もが持っているはずだ。

信じるか、信じないか。
この問題を深く考えてみると、実は中間状態が存在することに気づく。

例えば、目の前にいる人物の性別がわからない、としよう。
日常生活において、性別がわからないという体験はあまり無いので、恐らく多くの人が戸惑いを覚えるだろう。その不安定な状態に我慢出来ずに「どっち?」って聞いてみたり、そこまでの勇気がないためにコミュニケーションそのものを遠慮してしまったりするかも知れない。

しかし冷静になってみると、性別が判らないからコミュニケーションが取れない、なんてことは全くないのだ。判らないなら判らないなりに会話できるし、遊ぶ事も出来る。そのまま友達になることだって出来る。慣れてしまえば、実際には性別という情報が必要となるシーンなんてさほど無いということに気付く。(森博嗣のSFで、近未来に性別はプライベートな情報になる、というのがあり、僕はこれに同意する)

別の例。

たとえばmixiとかskypeとか、最近ならFacebookなどで、見ず知らずの相手から突然メッセージが来ることがある。
大きく2つの可能性がある。「業者」か、「業者じゃない」かだ。
(ここで言う「業者」というのは出会い系業者や詐欺業者を指していて、つまり、ある程度仲良くなったのちに金品を巻き上げることを目的としている相手を指す。)

業者という存在を知らないコドモは、無邪気に相手を信じ、やがて被害者となる。
業者という存在を知って間もない青年は、すぐさまコミュニケーションを断ち、我が身を守る。
しかしもう少し年を重ねると、「てっきり業者だと思ったが違った」というシチュエーションが出てくる。判断力が試される場面である。

「業者」か、「業者じゃない」か。

どちらとも断定できない状態でコミュニケーションを続けるのには不安を感じる。これは標準的な感情だと思われる。そこでさっきの性別の例を思い出してみよう。
冷静になってみると、「判断つかないままにコミュニケーションを続ける」というのもあり得るのではと思えてくる。具体的に言えば、「業者じゃないかも知れないので丁寧に応対するが、業者に知られたくない情報はそれとなく拒む」というようなことだ。

そんな特別な事ではなく、誰もが普通にやっている事かも知れないが。

自分と関わる人々に対して、この人は信じられる、この人は信じられない、という両極端な分類をせず、「少しだけ、しかしずっと疑い続ける」というのは、別の意味でも大事な事だと思っている。というのは、「伝達の精度が100%で無い以上、100%信用できるなんてことは絶対にあり得ない」からだ。

大抵の人を90%くらい信じていれば、ほとんど支障無く人生は送れる。僕の事も90%信じてくれればまったく問題ない。それで丸く収まる。

ラタトゥイユのススメ

  • 買ってきた分を全部調理し、半端な食材を残さない
  • 10分ほどの調理時間で4食分作れる
  • 冷蔵庫で10日くらい持つ
  • 冬はホットで、夏は冷たいままで食べられる
  • そのまま食べる他、パスタに絡めたり、パンに乗せたりして楽しめる
  • とにかく野菜をいっぱい取れる!
  • なんかおしゃれっぽい!

と、いいことづくめのラタトゥイユです。では、早速作りましょう。

材料は日によって変動しますが、今日はセロリ、ナス、パプリカ、たまねぎ、トマト缶2つです。原価は600〜700円。
大きなジップロック2つを用意します。ジップロックにはトマトの色が染み付きますが、匂い等は大丈夫みたい。

無心で野菜を切り刻みながら、2つの容器に放り込んでいきます。だいたい8mmくらいに切ればいいでしょう。スピード大事です。
包丁使い慣れていない方に1つだけアドバイス。「刃全体を使いましょう」具体的には、刃先を野菜に当て、包丁を前にスライドさせながら斜めに野菜を横切り、包丁の手前ぎりぎりがまな板に着地するイメージです。

容器が野菜で半分くらい埋まった頃にトマト缶をかけます。あとで混ぜ合わせるのが面倒なので、中間でいれておくといいかなーと。あんまり意味は無いかもしれません。
そして、涙をこらえながらタマネギを切り刻みます。ごめんよ、うぅ。

タマネギ全部入れたら満タンで予定していたトマト缶が入らなくなりましたw ナス3本が多すぎたかな。まあいいでしょう。ふたして電子レンジにかけます。600Wで5分ほどあっためると、水分が出て、体積が2/3くらいに減りますので、残りのトマト缶を入れます。さらに300Wで20分。

出来上がり。お客様に出す時は、大きめのお皿にちょこんと盛るとそれっぽいよ!

アグリコラ世界観解釈

– 収穫時の食料供給は缶詰作業である
– まとめ食いしているわけではないのだよ
– 規定量の缶詰を用意できないと心配のあまり物乞いをしてしまう
– もしくは、食料のクレジット業者がいて、収穫のタイミングで取り立てにくる
– 足りないと怖い目に遭うので物乞いするのだ
– まるで給料日直後にやってくる引き落とし日のようだ

– 家畜は必ず一匹目がメス、2匹目以降はオス
– だから一匹ずつしか増えないんだよ。
– 羊飼いは4頭目にもう一匹メスを飼える。さすがプロ!

– 職業カードは転職説
– 農業やりながら職を転々とする夫婦。
– 転職時に職業訓練費用と斡旋手数料でコストを払っている。
– 3グリ以上ではハローワークの需要が高騰するので悪徳紹介所(2倍のコストを要求)が現れる。

– 職業カードは職人を雇っている説
– 前払い、飯1ポッキリで、何回でも呼んでいいよ、という極めてざっくりとした契約。
– 「居候」というのは通称で、実際は居候先を探してくれるプロ。
– 3グリ以上では需要が高騰するので悪徳紹介所(2倍のコストを要求)が現れる。

– 1ラウンド3年仮説
– ゲームの開始を夫婦の結婚、終了をリタイアと仮定。
– リタイアを60歳とすると、全14ラウンドなので開始は18歳。

– 1ラウンド1年仮説
– 30代中盤の男女が意気投合し、半ば道楽で農場経営を始めた。
– 50歳くらいでリタイア。
– 働かずに食っていける基盤が出来あがり、悠々自適のリタイア人生(30点以上:ハッピーエンディング)
– 俺たちは何をしていたんだ、と我に返り、都会へ戻る(30点未満:バッドエンディング)

– 1ステージ1年仮説
– どう考えても収穫は年に1回だろと。
– 食料の消費ペースを均一にとるべきだろと。
– ゲーム進行に従ってステージ辺りのラウンド数が減るのは夫婦の老化に対応
– 親が働かなくなると子供も他のことをやりはじめたりして同時にアクションが減る
– 年に2回も3回も子供を産むのは現実的でないので、この仮説における「家族を増やす」は実子ではない
– 人身売買仮説(新生児??)
– 一夫多妻仮説(働かない妻が山手線の各駅に居る)
– コウノトリ仮説

みなさんの解釈をお待ちしています。

退職しました

株式会社サスライトに2006年5月から2010年11月まで、4年半勤務し、本日付けで退職することになりました。

やったこと

  • WIN32APIをIAT書き換えによってフックし、HDDへの読み書きやプロセスの起動を制御する仕組み
  • WinInetとOpenSSLを使ったプロキシサーバの実装
  • WebDAVクライアントの実装

学んだこと

  • SVNでのプロジェクト管理
  • http、SSL、プロキシの理解
  • 情報セキュリティ管理

皆様ご存知の通り、平行してマジシャン業務である株式会社ショウマン取締役というのを細々とやっていますが、こちらはもちろん継続です。サラリーマンの傍ら、取締役という肩書きを持って活動をしていたことは非常に良い経験でした。肩書きが人を作るというのは本当です。(特に僕のような従順な人間にはね!)

明日からはハートレイルズの社員になります。代表である上楽さんのblogを1年ほど前から購読しており、完全在宅勤務、数々のユニークなBtoCサービス、最先端技術を使いこなす開発力など、とても魅力的な会社だなと思っていたところに社員募集の記事があがり、ここぞとばかり応募したところ無事に採用された次第です。既に水面下ではプロジェクトに携わっています。
今後も引き続き奇術業界との兼業を考えている僕にとっては、まさに理想的な環境と感じています。ある時はMagician Geek、またあるときはGeek Magicianとして、もっともっと皆様の目に触れるところで活躍してまいります。

今後ともよろしく!!

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