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夢奇房見てきた勢いで感想など

結構楽しかった。結構、とか、まあまあ、とか言ってもよくわからないと思うのでずばり言えば3000円。実際に、入場料としてお支払いしてきた。
せっかくなので、思いつくままにつらつらと感想を書こうと思う。書くからには偉そうに書くが(笑)、念のため申し上げておくと、僕は、この公演を主催した諸氏よりも自分が偉いなどとはこれっぽっちも思っていない。あれだけの規模のイベントを、あれだけの完成度に仕上げたという事、これはもう手放しに賞賛する。僕は一観客に過ぎない。というつもりで読んでもらいたい。

舞台上に脇役がいる事、演技に使用しないモノがあること

まずはこれを評価したい。僕自身、やりたいと思っていた事の一つであり、かつ、なかなか理解を得られなかった事の一つだったので、見られてとても良かった。
ストーリィを表現していく上でも、客席を盛り上げる意味でも、効果的な手法。まあ、舞台一般の世界では当たり前すぎて、手法と呼ぶほどのものでもないのだけど。

演技の導入がよく工夫されていた

特に、フレアの入りは良かった。
進めなければならないストーリィがあって、そこにパフォーマンスを差し挟んでいかねばならないという難題に対処するために、導入で工夫するというのは大変効果的。
パフォーマンス全体を、無理にストーリィに乗せる必要はない。それをやろうとすると大抵、パフォーマンスがチープになってしまう。そのあたりの割り切りも良い塩梅。

一人だけにしゃべらせた事

台詞を完全に無くす事は手法の一つだが、伝えられる情報量は格段に減ってしまう。一方、訓練のされていない台詞回しを聞かされるのは苦痛以外の何物でもない。
「ちゃんと喋れる人だけに喋らせる」という今回の方針は良かった。

フィナーレ

綺麗にまとまっていて、後味が良い。フィナーレにきちんと労力を割いて完成度を高めているのは素晴らしい。

プログラムの完成度、客席へ至る階段への装飾

ショーを構成するのは舞台の上だけでは無い、ということで、周辺まで高い完成度が見られた事は凄い。本当なら帰りも全員が同じ階段を降りながら、「ああ、自分も月花に居たんだな」ってなって欲しかったけど、構造上難しかったかな。

ぱわぁ氏

名指しで一人だけ挙げるとすればどうしても彼になってしまう。
全出演者の中で、抜群の存在感があった。ストーリィの中では、意味のあるような無いような、後付けされたかのような立ち位置であったが、いざ彼に照明があたって彼が動き始めると、そこに世界があることを感じずにはいられない。さすが、体が出来ていると違う。
個人的には彼にもう少し出番を与えて欲しかったが、気をつけないと主役を持っていってしまうので、まあ、全体のバランスを見ればあれくらいで良かったかも知れない。

以上、褒めまくってみた。
以下はイマイチだった点。 続きを読む

テオ・ヤンセン

6日に、テオ・ヤンセン展へ行った。

プロフィールを見ると、大学で物理学を専攻した後、画家になった、とある。いかにも駄目学生風の経歴と読めた。並んでいたのは塩ビのパイプをガムテープで無造作につなぎ合わせたようなもので、あばら骨のような骨格を思わせる奇妙なガラクタの数々だった。
このガラクタ共が「実際には動くらしい」ということは事前に知識として知っていた。緻密な計算に基づいた、さぞ洗練された機構だろうと想像していたのだが、目の前のガラクタはとてもそのようには見えなかった。さして深い洞察も無く、ノリとガッツで試行錯誤を繰り返しているうちにだんだん動くようになったのだな、と思われた。

「生命とは何か」風の展示ストーリィもあまり感心はしなかった。テオ・ヤンセンは生命の本質を突き詰め、それを独自の手法で再構築していった、というような内容だったが、生命を再定義するなんていうのはあらゆるジャンルで実施されてもはやすっかり陳腐化した手法である。そしてまた、これらのガラクタが何らかの深い哲学に基づいて設計されたとも思えなかった。要するに「後付け」と感じられた。

というような低空飛行のテンションで、ご本人ならびに最新の「テオ生命体」と対峙することになったのだが、動く実物を目の当たりにすると、いままでの印象は一気に吹っ飛んでしまった。
まったくとんでもない話である。メカに対する僕の常識があっさりと覆される瞬間を体験した。

それは、全長10m強の巨大な「生命体」であった。数多くの関節(300くらい?)を持ち、電力はいっさい使用しない。
一般に、機械の複雑さが増すと、故障率は指数的に増大する。わずかな誤差や故障で一部の動作がロックすれば、それで全体が止まってしまう。
300もの稼働部があれば、通常は固い金属をかっちりとジョイントし、できるだけ「遊び」の出ないようにするのが普通だ。さもなくば、ちょっと動いてもすぐ止まり、また調整してすぐ止まる、というような騙し騙しの動作になると予想される。

しかし、「それ」は動いた。極めて滑らかに、驚くべき軽やかさで、しかも安定していた。そんな馬鹿な!
動くだけではなかった。「それ」には触覚があり、この触覚にモノがあたると歩行の向きが反転する、ということだった。その通りのことが、当たり前のように目の前で起きた。
触覚のある側の反対側には管が生えており、この管の先が水に触れると、再び歩行の向きが反転する、ということだった。まったく機構が想像できない。その機構もまた、軽やかに、当然のように動作した。

不確実な構造体で、なぜこのような動きが実現するのか。
テオ・ヤンセンの作品はいずれも、まったく同じ機能を有する部位をいくつも並列に持っている。そしてこれらが「かっちり」ではなく、「ゆるく」ジョイントしている。そうすると、いくつかに動作不良が発生しても全体としては動作を続けることが出来る。「冗長性」である。

掛け合わせると発散するが、足し合わせると収束する。

テオ生命体は、安定動作のために冗長性を有し、それが必然的に「生物らしい」外観とモーションを生み出している。「生物とは何か」という問いを深く鋭く洞察し、そのエッセンスを高純度で培養して具現化したものが彼の作品だったのだ。

シンプルなコドモ世界と複雑なオトナ世界

友人の薦めで、「カラフル」という映画を見てきた。
自殺した少年の体に乗り移った魂が、その少年を演じながら彼を取り巻く環境を半ば他人事のように眺める、という設定。これはなかなか巧妙なプロットで、青少年の自殺という重たいテーマを適度に軽く、うまく扱っていた。
僕にこれを薦めた友人はしかし、映画を気に入らなかったようだ。というわけで原作も読むことにした。
なるほど原作で中心に据えられているテーマは、映画では十分に描かれていなかったように感じられた。(まあ、珍しいことではない。例えばジュラシックパークでも、原作において「これを語るためにこの小説は書かれた」とさえ思わせるようなテーマが、映画ではほとんど触れられても居なかったりしたし。)

先日、友人と話をしているとき、たまたまこんな事件が話題に上った。彼は几帳面な性格で、恐らく普段は滅多に遅刻などしなかったのだろうと思われるが、その彼が学生の頃、ある日たまたま寝坊をして、バイト先に遅刻した。もちろん早めに連絡を入れ、大事には至らなかったそうだが、その時バイト先の担当者に遅刻の理由を尋ねられ、彼は正直に「寝坊です」と答えた。これを酷く怒られた、というのである。
「寝坊と言われたらただで許す訳にいかなくなる。交通機関の不調とか、なんでもいいから言い訳をしろ。でないと俺の立場が無い。言い訳はおまえが考えろ。」
これが怒られた理由である。それが大人のルールでしょ、と。
なるほどね、と思わされる話である。

僕がこの歳になるまでの間に、「オトナになればわかるよ」という台詞を何度聞いたか知れないが、実際に学生を終えて社会に出てみてから理解した「オトナ世界のルール」は数知れない。本音と建前を使い分け、時には騙されたフリをしたり、時には言葉を飲み込んだり。

僕はこの「オトナになればわかるよ」という台詞が大嫌いだった。説明してくれればいいのに。説明できないの?それとも僕の理解力を侮っているの?オトナの貴方はオトナであるというだけで、コドモの僕より賢いつもりなの?くだらない!くだらないオトナ!

なんて、コドモっぽく反抗していた頃に比べたら、僕も随分オトナになったと思う。じゃあ今は僕がコドモに対して「オトナになればわかるよ」って言うかというと、それはやはり言いたくない。昔の自分が嫌いだったくだらないオトナに自分がなるなんて、なんとしても避けなければならない。

(余談だけどつい先日、僕があるアイデアについて話しているところへ「それはうまくいかないと思うよ」と言ってきた奴がいたので「何故?」と尋ねたら「やってみれば分かる」と返答された。話にならないとはこのことである。)

オトナの世界は複雑だから?そんな風に片付けたくはない。世界は誰に対しても同様に複雑で、かつ、調和がとれて美しいものだ。

「借り暮らしのアリエッテ」感想

ネタばれ無しで。

世界観はとても良かった。
スケール感の表現は良くできていたし、液体の表現には特に気を使っていたようで、面白かった。

ハルさんが悪役すぎるのが残念だ。悪役に魅力があるのは大事なこと。クシャナもエボシ御前も魅力的だった。ムスカはチョイ悪だけどな。

オープニングの引き込み、エンディングの爽快感に物足りなさを感じる。例えば「千と千尋」なんて、オープニングタイトルが出るまでの流れでもう泣きそうだった。これは監督の力量の差か。

ラストシーンの「指の質感」への指摘は内田樹氏に同意。

あとあれだ、劇場で洗濯バサミの髪留めを配るといいんじゃないかと思った。

「マイマイ新子と千年の魔法」大した事件も無く、悪者もおらず、でも確実にじわっとくる。そういう映画が好き。

http://www.mai-mai.jp/ ラピュタ阿佐ヶ谷にて。

映画を見て涙が出ることは、僕はほとんど無い。
別れや再会、死のシーンではまず泣かない。

でも、この映画はちょろ泣きした。
軽く細やかで、確実にじわっとくる。

ジャグリングの極意で、「簡単な技は難しそうに、難しい技は簡単そうに見せる」というのがあって、通じるものがあるかも。
別れや死のような、そもそもが重たいシーンは努めて軽く流し、さして大事件でも無い、なんでも無い場面の、小さな小さな感情の起伏を、丁寧に丁寧に描く。

そういう映画が、僕は好きみたいだ。

舞台「夜は短し歩けよ乙女」

新大久保の東京グローブ座にて。
劇場へ入った瞬間の感触は、とても良い。
大きな月、薄暗い町並み、遠い喧騒。

春夏秋冬の全4章のうち、舞台化に耐えうるのは3章、学園祭編のみであろうと思われたので、3章のみの上演かもしれない、と踏んでいたのだが、きっちり春から始まった。

春夏はしかし、「やっつけ」の感あり。ストーリーを伝えることに精一杯で、原作にあった醍醐味はそこには無い。舞台化は困難と予想していたにせよ、それを差し引いても「やっつけ」感は残る。

休憩を挟んで、学園祭編。
やはりここからが本番であった。
見たかったものをきっちり見せてくれて、大いに楽しめた。
このシーンで劇中劇を始める「乙女」の豹変振りは、小説では味わえなかったものであった。

そして冬。
まあ、こんなもんかな。

本当は秋をやりたかったけど冬をはずすわけには行かず、となれば春夏もやらざるを得ない、ということだったかもしれない。

役者について。
乙女。可愛い。笑。だがしかし時たまアイドルめいた挙動を示すので残念に思った。徹底した純朴さが求められる。
先輩。いささか力みすぎではないか。内に秘めた熱い思いに反した淡々とした語り口が面白みなのに、それがあまりうまくない。
天狗。でか!と最初思ったが、見慣れるとなかなか良い。
羽貫さん。ばっちし。どんぴしゃ。
李白。面白すぎる。持って行き過ぎ。
委員長。せっかく舞台なら、こういうのを見たいよね。見所。
少年。可愛いんだけど、ちょっと女の子過ぎるなあ。惜しい。

まあそんなところで。

「おくりびと」

有楽町ピカデリーにて。
まったく無駄の無い構成に、コメディも感動も綺麗に盛り込まれて、文句無しの最高傑作。
大きな事件が起きることなく、日常的な風景の中で場面を拾い上げてゆく作りがとても上品。
その上、どの役者も素晴らしかった。
「儀式」というとどうも空虚で無意味なイメージがあるのだが、山﨑努、本木雅弘、両氏の尋常ではない深みある演技は、その意義を語るのに十分だった。

女優としての広末涼子をものすごく久しぶりに見た。
彼女がデビューした頃はまだ、アイドルという言葉は「一人」を意味していたように思う。
広末涼子がアイドルだった時、アイドルは広末涼子しかいなかった。
面識など無いし、イベント等でも生で見たことは無いのだけど、同い年なことも手伝ってか(今調べたら、誕生日は僕と6日違い)彼女がまだ活躍しているということをとても嬉しく感じた。

ZED

シルク・ドゥ・ソレイユのショーは、ラスベガスでMystere, O, Ka, Zumanityを見ているが、国内では初めて。実はビッグトップには一度も行ったことがない。

綱渡りだとか空中ブランコのような曲芸の凄さは、正直言ってそろそろ見慣れてきてしまっている。定かでないが、実際、Mystereと比べると技術的には見劣りしたように思う。
そんな中でも僕の視線を引きつけるのは、どちらかというと静かで正確な挙動だった。
人間離れした幾何学的な動きと速度。
ロボットに対しては柔らかい人間的な動きを要求するくせに、人間に対してはロボットのような無機質な動きを追い求める。へんなの。

特設劇場ならではのダイナミックな場面展開には全身を震わされた。
ちょうど先週、母校の後輩たちの発表会の演出の為に頭を悩ませていた僕にとって、ZEDの舞台演出のスケールと鋭さは、圧倒的な才能の差を見せ付けられたようで、爽快な悔しさを感じた。

完成度ってなんだろう。
完璧な動きとタイミング、というのがあったとして、95%も達成していれば普通は満足してしまうところを、彼らは99.99%をこなし、なおも満足しない。
この、9の数に圧倒されるのだ、と感じる。

スカイ・クロラ

諸般の事情で2度見た。後悔はしていない。

この作品を、押井守作品としてみる客と、森博嗣作品として見る客と、比率はどれくらいなのだろう。
もちろん僕にとっては、森博嗣作品に他ならない。

原作を読んだのは何年前だろうか。
よく覚えていない。図書館で借りて読んだので、手元に本は無い。

企業が戦争を請け負う、という未来。
なんというナンセンス!なのに、ぞっとするリアリティ。
ロジカルで冷たい世界観。

映画の方は、「恋愛映画」というジャンルにカテゴライズされていた。
別に悪くは無い。
とても独特で純粋で美しい恋愛だと思った。
どちらかというと悲劇だけれど、淡々と静かで、深くゆっくりと沈んでゆく。

そうだな、今の僕が、女の子に名前をつける立場だったら、「スイト」って名づけてしまうかもしれない。

「マジックアワー」見てきた

六本木TOHOシネマ。25:55開始の回。
レイトショーで見たのは失敗だった。せっかくのコメディなので、劇場全体がどっと笑う感触を楽しむべきだった。

前半は、一歩間違えたら命を落とすという状況設定が正直重すぎて、笑い飛ばしきれなかった。
「そんな状況でこそ笑い飛ばせ」という強いメッセージなのかも知れん。

三谷氏の脚本の力が相変わらず圧倒的すぎる。コメディのセンスは本当に天才だと思う。
「一般人には興味ないんで」の流れとか、最高に秀逸。
あんなの、絶対思いつけない。

あと、柳澤愼一に感動した。あの一瞬の手さばきが美しすぎる。
あそこだけCGかと思った。動きにノイズがまったく無い。ぞっとした。

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