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Trick with BLOG: written by Kuboon.

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愛用していた紺の毛糸のベストが、ユニクロ製かなんかだと思ってたら実は父が20代のころから着ていたもので祖母のお手製だったことが判明。

Mon
10
Nov '08

「おくりびと」

有楽町ピカデリーにて。
まったく無駄の無い構成に、コメディも感動も綺麗に盛り込まれて、文句無しの最高傑作。
大きな事件が起きることなく、日常的な風景の中で場面を拾い上げてゆく作りがとても上品。
その上、どの役者も素晴らしかった。
「儀式」というとどうも空虚で無意味なイメージがあるのだが、山﨑努、本木雅弘、両氏の尋常ではない深みある演技は、その意義を語るのに十分だった。

女優としての広末涼子をものすごく久しぶりに見た。
彼女がデビューした頃はまだ、アイドルという言葉は「一人」を意味していたように思う。
広末涼子がアイドルだった時、アイドルは広末涼子しかいなかった。
面識など無いし、イベント等でも生で見たことは無いのだけど、同い年なことも手伝ってか(今調べたら、誕生日は僕と6日違い)彼女がまだ活躍しているということをとても嬉しく感じた。

Sun
12
Oct '08

ZED

シルク・ドゥ・ソレイユのショーは、ラスベガスでMystere, O, Ka, Zumanityを見ているが、国内では初めて。実はビッグトップには一度も行ったことがない。

綱渡りだとか空中ブランコのような曲芸の凄さは、正直言ってそろそろ見慣れてきてしまっている。定かでないが、実際、Mystereと比べると技術的には見劣りしたように思う。
そんな中でも僕の視線を引きつけるのは、どちらかというと静かで正確な挙動だった。
人間離れした幾何学的な動きと速度。
ロボットに対しては柔らかい人間的な動きを要求するくせに、人間に対してはロボットのような無機質な動きを追い求める。へんなの。

特設劇場ならではのダイナミックな場面展開には全身を震わされた。
ちょうど先週、母校の後輩たちの発表会の演出の為に頭を悩ませていた僕にとって、ZEDの舞台演出のスケールと鋭さは、圧倒的な才能の差を見せ付けられたようで、爽快な悔しさを感じた。

完成度ってなんだろう。
完璧な動きとタイミング、というのがあったとして、95%も達成していれば普通は満足してしまうところを、彼らは99.99%をこなし、なおも満足しない。
この、9の数に圧倒されるのだ、と感じる。

Tue
19
Aug '08

スカイ・クロラ

諸般の事情で2度見た。後悔はしていない。

この作品を、押井守作品としてみる客と、森博嗣作品として見る客と、比率はどれくらいなのだろう。
もちろん僕にとっては、森博嗣作品に他ならない。

原作を読んだのは何年前だろうか。
よく覚えていない。図書館で借りて読んだので、手元に本は無い。

企業が戦争を請け負う、という未来。
なんというナンセンス!なのに、ぞっとするリアリティ。
ロジカルで冷たい世界観。

映画の方は、「恋愛映画」というジャンルにカテゴライズされていた。
別に悪くは無い。
とても独特で純粋で美しい恋愛だと思った。
どちらかというと悲劇だけれど、淡々と静かで、深くゆっくりと沈んでゆく。

そうだな、今の僕が、女の子に名前をつける立場だったら、「スイト」って名づけてしまうかもしれない。

3 Comments »

  1. こまーち Says:

    くぼーんの場合、読みよりもどういう字をあてるのかの方が気になる( ´-`) スイトっていうか、菊池凛子が(ry
    ぁー、オイラももう一度見に行きたいー。

  2. Kuboon Says:

    名前とか、懲りすぎると負けますね。

    書き忘れたが、原作の笹倉の天才っぷりが大好きだったので、そこが映画版で描かれてなかったのが唯一残念。

  3. こまーち Says:

    ホント、くぼんの一言には毎回感涙するほどな。極めて正論。時には面白みもないほどだけど、いつだってくぼんの解答以上の解答に出会ったことがない。くっそぅ。
    「恋愛映画というジャンルに(ry」にも、思うところはあれど反論できなかった。

    オイラも笹倉節は大好きだったなぁ。映画見てるときはそこまで重点置いてなかったけど…。
    映像化するとどうしても作者の意図とか演出の節々が歪曲されるよな。押井ワールドも大好きだから何とも言えないけれど、確かに残念。

    どうでもいいが、飛行機の挙動の描写をイメージできなかった人たちには、とりあえず映画を見るか、あるいはエースコンバットだな。とかね。
    「エルロン左、フラップ・ダウン、エレベータ・アップ。左に離脱。」とか、フツーはわからん。
    低速から最大加速、LR同時押しでハイGターン、だぜ。みたいな。
    わかる人にはわかるんだけどね。活字だけで、あれほどに空を翔る様をまざまざと描く森博嗣。それを理解する予備知識も重要だな。
    ジェットエンジンではなく、プロペラでプッシャを描くあたりもまた。逆回転のプロペラエンジンとかないのかなー。とかいろいろ考えたりして。
    …でもプロペラが正回転と逆回転2組の3枚羽なんだな。散花。トルクを利用した挙動とか、本当に実現するんだろうか?とかいろいろ。
    ぁー、今週末もう一度見てこよう。独り、ガチで。

Sun
15
Jun '08

「マジックアワー」見てきた

六本木TOHOシネマ。25:55開始の回。
レイトショーで見たのは失敗だった。せっかくのコメディなので、劇場全体がどっと笑う感触を楽しむべきだった。

前半は、一歩間違えたら命を落とすという状況設定が正直重すぎて、笑い飛ばしきれなかった。
「そんな状況でこそ笑い飛ばせ」という強いメッセージなのかも知れん。

三谷氏の脚本の力が相変わらず圧倒的すぎる。コメディのセンスは本当に天才だと思う。
「一般人には興味ないんで」の流れとか、最高に秀逸。
あんなの、絶対思いつけない。

あと、柳澤愼一に感動した。あの一瞬の手さばきが美しすぎる。
あそこだけCGかと思った。動きにノイズがまったく無い。ぞっとした。

Sun
20
Apr '08

「魔法にかけられて」

先に予告編を見ていたので「ディズニーもついにセルフ・パロディ作品を作ったか」と、僕もわくわくしていた。
王子が歌おうとしたところへ自転車がつっこんでくるシーンなんて最高。
一歩引いた所からミュージカルを見たときの滑稽さ。ファンタジィの馬鹿馬鹿しさ。
そういう、ディズニーが今まで作り上げてきた世界を、思いっきり笑い飛ばす、そういう映画だと、思っていた。
見るまでは。

しかし、違うのだ。
ぜんぜん違うのだ。
世界のディズニーは、そんな安っぽい僕の想像力を遥かに上回った。

ディズニーが過去の作品で表現してきたのは、動物が喋り、魔法が実在する世界。子供に対してはその想像力を刺激し、大人に対してはその子供心を思い出させる。
ディズニーファンが増えてゆく一方で、「でも、所詮作り話よね」という見方をする人々も必然的に生まれてくる。このようなシニカルな意見に対しディズニーは「ただの作り話ではない、あなたのすぐ近くにそれはあるのです」という立場をとってきた。(これは彼らの商業の存続のためでもあり、彼らの本心でもあると思うが。)

そこへ、本作品の登場である。
本作品は、今までディズニーが固持して来た立場を覆し、ファンタジィを「作り話よね」と一蹴したのか?

まったくそんなことは無い。
ミュージカルとファンタジィという「あちら側の世界」から抜け出してきた登場人物(とリス)達は、ニューヨークという現実世界へ降り立つ。そこで起こるべくして起こる様々な事件は確かに滑稽ではあったが、それは「そんな風にうまくいくわけないじゃん」というシニシズムを飛び越え、より挑戦的に「こちら側」の世界をファンタジィで侵食したのである。

予告編でチラ見した「王子が歌おうとしたところへ自転車」も、それより前のシーンで既に散々歌っている為に実際には「ミュージカルへの嘲笑」としては機能せず、単に「王子への嘲笑」に留まっている。

製作の段階において、「歌いだす瞬間に自転車が突っ込んでくるとか面白いよね」とアイデアが出て、そこへ別の強いビジョンを持った監督だかシナリオライタだかが「確かに面白いが、ミュージカルそのものを嘲笑したくはないんだ、わかるかい?」みたいなことになったのでは、などと想像する。

ついでに言うと、このシーンだけを切り取って予告編で見せるというのがまた実に小賢しい。
「ファンタジィなんて別に好きじゃないけど、これなら見てやろう」と思った観衆が居たに違いないのである。
おお、なんとディズニーの偉大なことか。

と、ちょっと適当に思いついたことを内田樹風に書いてみた。ううむ。まだ甘いな。

Sun
24
Feb '08

下北沢「アートくる9」に行った

下北沢に下りたのは実に久しぶりだ。相変わらず変な街。
どういったイベントだかよく調べずに参加した。
知らない人たち演奏や歌のパフォーマンスに参加して、手作りの品々を眺めて、じっくりと自分に耳を澄ます。

僕は元来、芸術に対する感度の高い人間ではない。自分の服を自分でまともにコーディネート出来ないし、色彩のミスマッチにも鈍感である。故に、鑑賞を行う際には一定の手続きを踏む必要がある。まず、脳の処理能力の10%ほどを使って、対象作品の外側にある実世界の映像や騒音をマスクアウトする。次に、もう10%を使って、作品全体を均一に受け入れるためのバランスを取る。音楽なら、特定のパートに耳が偏らないように。絵画なら、一部分や特定の色要素に集中してしまわないように。作品全体をフラットに受け入れ、それで脳内を満たす。そうしておいて、残った80%を“アイドル状態”にしておく(Perfumeとかを指すところのアイドルではないので注意)。
その状態をだいたい一分ほど我慢して維持していると、空っぽにしておいた部分に作品がじわりと流れ込んでくる。これを観察する。

反戦や環境保護を謳う活動組織は数あれど、その手法は実に多種多様だ。
「我慢に基づく環境保護」という思想はもう5年以上前に廃れていて、「楽しくお得にお洒落にエコ」はいまや目新しくない。これは言い換えれば「~しない」から「~しよう」への転換だった。同じパラダイムシフトを反戦で考える。戦争を「しない」ために何を「しよう」なのか。
なんかあると思うんだけど、まだ思いつかない。

Tue
20
Nov '07

デザインフェスタVol.26お気に入りメモ

デザフェスに行ってきた。

生みたて卵屋
「視力検査トランプ」「和風トランプ」を購入。

ササキカオリ
エッシャー風味が素敵。

歯車蝶
こういうのスチームパンクっていうのかな。どうも僕は渦巻きとか歯車には弱いようです。

MADE IN LIFE (公式サイト無し)
題材が良く、出来も良いアクセサリ。

Sun
17
Jun '07

ノマディック美術館とグレゴリーコルベール

ずっしりと重たく満たされた音響。
丁寧に切り取られたスポット照明。
市松状の外壁をすり抜ける風の音。
これらが渾然一体となって作品を宙に支える。
こうしてスクリーンは窓となって空気が流れ込んでくる。
向こうの世界から、僕の目を通じて、脳内へ。

ノマディック(Nomadic)とは、「遊牧的な」という意味。(今知った)
モバイル(mobile)好きのテッキー(techy)なガジェット(gadget)オタクにとっては、非常に親近感の湧く概念である。設計者の坂茂(ばん しげる)氏は要チェックで。

朝日新聞紙上広告に、グレゴリーコルベールと茂木健一郎の対談があったので読んだ。
細いワイヤのように厳密な科学の言葉でグレゴリーの圧倒的なボリュームのある世界を受け止めるには、紙面が足りなかったように思う。

Fri
16
Mar '07

ラーメンズ「TEXT」

友人(てかYuya)がかなり良い席を引き当ててくれた。生舞台は2年ぶりの2回目。 前回は本多劇場でStudyを見た。

舞台の上の彼らはずいぶん大きく見えた。ちなみに、いつも家の100インチの画面で見る二人は、だいたい身長は140cmくらい。

彼らの舞台はカテゴライズするとすればコントだが、それはコントと呼ぶにはあまりにも壮大で、緻密で、悔しいほど羨ましいほど。

ユニークuniqueという単語には、日本では何やら余分なニュアンスが着いて回っている印象があるが、字義通りの意味は「他に類を見ない」である。ユニークさと完成度は一般に相反する。彼らほどユニークかつ完成度が高い舞台が他にいくつあるだろうか。

このごろ友人たちの間では公言して回っているが、僕は30歳までの目標の1つに、「小林賢太郎と友達になる」を掲げたい。彼の圧倒的な才能の前に、今はまだ、自分の平凡さをかみ締めるばかり。何事も成し得ていない。
あと3年。何を身に着け、何を成し得るだろうか。

ラーメンズが好きな方には、が~まるちょば もオススメです。(amazon風)

Sun
18
Feb '07

マリーアントワネット

有楽町マリオンで。
一般国民から隔離された皇族の話、という点で先日見た「太陽」と同類であるが、受けた印象はまるで違った。
「太陽」に描かれていた昭和天皇は、時に気さくに話したり、植物学に没頭したりといった側面を見せながらも、間違いなく超人的であった。凡人には近寄りがたい空気を常にまとい、一挙手一投足に重みを感じる。(まあ、イッセー尾形の演技が超人的だった、と言い換えればそれまでだが。)
一方でマリーアントワネットは“意外と普通の人”である。莫大な財産と冗長な儀式制度に囲まれた中で、ごく人並みにパーティしたり、舞踏会に出かけたり、気が変わって質素に暮らしてみたり。(まあ、キルスティン・ダンストの演技が人なつっこかった、と言い換えればそれまでだが。)
神として扱われた天皇と、人として扱われた王妃の差だろうか。(本物を見たことは無いので意味の無い推論だが。)

花火とか噴水が登場するので「なぜこの時代に?」と感じたが、それは単に僕の知識のレベルに応じてのことだろうと思う。建築の専門家ならもっと建築に突っ込んだだろうし、文化歴史に精通している人間なら服飾の嘘を事細かに見抜くだろう。そういった専門家は時に、「史実に基づいていないから、ほら、違和感がある」と主張する。僕はそうは思わない。史実に基づく、というのは、違和感を感じない組み合わせの1つに過ぎないのであって、唯一解ではない。
例えば「マリーアントワネット」で用いられていた音楽は明らかに歴史を超越していたが、それでも違和感はさほど感じなかった。心地よくフィットしていた。

それってけっこうおもしろいな、と思った次第。
せっかくなので史実も目を通すと良いと思います。