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場の流れを読む

先日、24メートルの布が必要になり、日暮里の繊維街へ出かけた。

正確に言うと、6メートルの布4枚を必要としていた。幅は1.1メートル。
これは結構な長さで、それだけの在庫が残っている布はあまり種類が無かった。

そんな中から、良い色と質感のものを見つけたので、店員に在庫の長さを測ってもらった。
20メートルだった。
ちょっと足りないが、5メートル4枚でも良い、ということになったので、買うことにした。

5メートルを4枚ください、と頼もうとしたら、
「1カット目は無料、2カット目以降は1カットあたり500円」
という張り紙があった。

たかだか幅1メートルの布を切るのに500円かかるとは何事か。
これは実質的には「カットお断り」ということである。購入の為のカットは当然するが、それ以上のカットはお客さんがやってください、店員に雑用を頼まないでください、と、そういう話である。

もちろん僕が、「5メートルください」といって購入するのを4回繰り返せば、ルール違反にはならないので店員は文句を言えないはずであるが、もう子供ではないので、そういうセコい手段は避けるようにしたいものである。
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夢奇房見てきた勢いで感想など

結構楽しかった。結構、とか、まあまあ、とか言ってもよくわからないと思うのでずばり言えば3000円。実際に、入場料としてお支払いしてきた。
せっかくなので、思いつくままにつらつらと感想を書こうと思う。書くからには偉そうに書くが(笑)、念のため申し上げておくと、僕は、この公演を主催した諸氏よりも自分が偉いなどとはこれっぽっちも思っていない。あれだけの規模のイベントを、あれだけの完成度に仕上げたという事、これはもう手放しに賞賛する。僕は一観客に過ぎない。というつもりで読んでもらいたい。

舞台上に脇役がいる事、演技に使用しないモノがあること

まずはこれを評価したい。僕自身、やりたいと思っていた事の一つであり、かつ、なかなか理解を得られなかった事の一つだったので、見られてとても良かった。
ストーリィを表現していく上でも、客席を盛り上げる意味でも、効果的な手法。まあ、舞台一般の世界では当たり前すぎて、手法と呼ぶほどのものでもないのだけど。

演技の導入がよく工夫されていた

特に、フレアの入りは良かった。
進めなければならないストーリィがあって、そこにパフォーマンスを差し挟んでいかねばならないという難題に対処するために、導入で工夫するというのは大変効果的。
パフォーマンス全体を、無理にストーリィに乗せる必要はない。それをやろうとすると大抵、パフォーマンスがチープになってしまう。そのあたりの割り切りも良い塩梅。

一人だけにしゃべらせた事

台詞を完全に無くす事は手法の一つだが、伝えられる情報量は格段に減ってしまう。一方、訓練のされていない台詞回しを聞かされるのは苦痛以外の何物でもない。
「ちゃんと喋れる人だけに喋らせる」という今回の方針は良かった。

フィナーレ

綺麗にまとまっていて、後味が良い。フィナーレにきちんと労力を割いて完成度を高めているのは素晴らしい。

プログラムの完成度、客席へ至る階段への装飾

ショーを構成するのは舞台の上だけでは無い、ということで、周辺まで高い完成度が見られた事は凄い。本当なら帰りも全員が同じ階段を降りながら、「ああ、自分も月花に居たんだな」ってなって欲しかったけど、構造上難しかったかな。

ぱわぁ氏

名指しで一人だけ挙げるとすればどうしても彼になってしまう。
全出演者の中で、抜群の存在感があった。ストーリィの中では、意味のあるような無いような、後付けされたかのような立ち位置であったが、いざ彼に照明があたって彼が動き始めると、そこに世界があることを感じずにはいられない。さすが、体が出来ていると違う。
個人的には彼にもう少し出番を与えて欲しかったが、気をつけないと主役を持っていってしまうので、まあ、全体のバランスを見ればあれくらいで良かったかも知れない。

以上、褒めまくってみた。
以下はイマイチだった点。 続きを読む

テオ・ヤンセン

6日に、テオ・ヤンセン展へ行った。

プロフィールを見ると、大学で物理学を専攻した後、画家になった、とある。いかにも駄目学生風の経歴と読めた。並んでいたのは塩ビのパイプをガムテープで無造作につなぎ合わせたようなもので、あばら骨のような骨格を思わせる奇妙なガラクタの数々だった。
このガラクタ共が「実際には動くらしい」ということは事前に知識として知っていた。緻密な計算に基づいた、さぞ洗練された機構だろうと想像していたのだが、目の前のガラクタはとてもそのようには見えなかった。さして深い洞察も無く、ノリとガッツで試行錯誤を繰り返しているうちにだんだん動くようになったのだな、と思われた。

「生命とは何か」風の展示ストーリィもあまり感心はしなかった。テオ・ヤンセンは生命の本質を突き詰め、それを独自の手法で再構築していった、というような内容だったが、生命を再定義するなんていうのはあらゆるジャンルで実施されてもはやすっかり陳腐化した手法である。そしてまた、これらのガラクタが何らかの深い哲学に基づいて設計されたとも思えなかった。要するに「後付け」と感じられた。

というような低空飛行のテンションで、ご本人ならびに最新の「テオ生命体」と対峙することになったのだが、動く実物を目の当たりにすると、いままでの印象は一気に吹っ飛んでしまった。
まったくとんでもない話である。メカに対する僕の常識があっさりと覆される瞬間を体験した。

それは、全長10m強の巨大な「生命体」であった。数多くの関節(300くらい?)を持ち、電力はいっさい使用しない。
一般に、機械の複雑さが増すと、故障率は指数的に増大する。わずかな誤差や故障で一部の動作がロックすれば、それで全体が止まってしまう。
300もの稼働部があれば、通常は固い金属をかっちりとジョイントし、できるだけ「遊び」の出ないようにするのが普通だ。さもなくば、ちょっと動いてもすぐ止まり、また調整してすぐ止まる、というような騙し騙しの動作になると予想される。

しかし、「それ」は動いた。極めて滑らかに、驚くべき軽やかさで、しかも安定していた。そんな馬鹿な!
動くだけではなかった。「それ」には触覚があり、この触覚にモノがあたると歩行の向きが反転する、ということだった。その通りのことが、当たり前のように目の前で起きた。
触覚のある側の反対側には管が生えており、この管の先が水に触れると、再び歩行の向きが反転する、ということだった。まったく機構が想像できない。その機構もまた、軽やかに、当然のように動作した。

不確実な構造体で、なぜこのような動きが実現するのか。
テオ・ヤンセンの作品はいずれも、まったく同じ機能を有する部位をいくつも並列に持っている。そしてこれらが「かっちり」ではなく、「ゆるく」ジョイントしている。そうすると、いくつかに動作不良が発生しても全体としては動作を続けることが出来る。「冗長性」である。

掛け合わせると発散するが、足し合わせると収束する。

テオ生命体は、安定動作のために冗長性を有し、それが必然的に「生物らしい」外観とモーションを生み出している。「生物とは何か」という問いを深く鋭く洞察し、そのエッセンスを高純度で培養して具現化したものが彼の作品だったのだ。

スーパーポータブルiPadスタンドを200円で自作した


これです。 どうだ、小さいでしょ?
外径5mmのアルミパイプを12cmにカットしたものに、内径5mmのビニルパイプをちょこっと被せました。
これでどうやってiPadがスタンドするかって? はい、ちょっとしたタネがありまして。



まずですね、僕のiPadケースはこいつを使っています。
画板スタイルクリスタルカバーTR-CGIPAD-CL


すると、こうなる。

縦横どっちもオッケー

夢のモバイルデュアルディスプレイ!

退職しました

株式会社サスライトに2006年5月から2010年11月まで、4年半勤務し、本日付けで退職することになりました。

やったこと

  • WIN32APIをIAT書き換えによってフックし、HDDへの読み書きやプロセスの起動を制御する仕組み
  • WinInetとOpenSSLを使ったプロキシサーバの実装
  • WebDAVクライアントの実装

学んだこと

  • SVNでのプロジェクト管理
  • http、SSL、プロキシの理解
  • 情報セキュリティ管理

皆様ご存知の通り、平行してマジシャン業務である株式会社ショウマン取締役というのを細々とやっていますが、こちらはもちろん継続です。サラリーマンの傍ら、取締役という肩書きを持って活動をしていたことは非常に良い経験でした。肩書きが人を作るというのは本当です。(特に僕のような従順な人間にはね!)

明日からはハートレイルズの社員になります。代表である上楽さんのblogを1年ほど前から購読しており、完全在宅勤務、数々のユニークなBtoCサービス、最先端技術を使いこなす開発力など、とても魅力的な会社だなと思っていたところに社員募集の記事があがり、ここぞとばかり応募したところ無事に採用された次第です。既に水面下ではプロジェクトに携わっています。
今後も引き続き奇術業界との兼業を考えている僕にとっては、まさに理想的な環境と感じています。ある時はMagician Geek、またあるときはGeek Magicianとして、もっともっと皆様の目に触れるところで活躍してまいります。

今後ともよろしく!!

シンプルなコドモ世界と複雑なオトナ世界

友人の薦めで、「カラフル」という映画を見てきた。
自殺した少年の体に乗り移った魂が、その少年を演じながら彼を取り巻く環境を半ば他人事のように眺める、という設定。これはなかなか巧妙なプロットで、青少年の自殺という重たいテーマを適度に軽く、うまく扱っていた。
僕にこれを薦めた友人はしかし、映画を気に入らなかったようだ。というわけで原作も読むことにした。
なるほど原作で中心に据えられているテーマは、映画では十分に描かれていなかったように感じられた。(まあ、珍しいことではない。例えばジュラシックパークでも、原作において「これを語るためにこの小説は書かれた」とさえ思わせるようなテーマが、映画ではほとんど触れられても居なかったりしたし。)

先日、友人と話をしているとき、たまたまこんな事件が話題に上った。彼は几帳面な性格で、恐らく普段は滅多に遅刻などしなかったのだろうと思われるが、その彼が学生の頃、ある日たまたま寝坊をして、バイト先に遅刻した。もちろん早めに連絡を入れ、大事には至らなかったそうだが、その時バイト先の担当者に遅刻の理由を尋ねられ、彼は正直に「寝坊です」と答えた。これを酷く怒られた、というのである。
「寝坊と言われたらただで許す訳にいかなくなる。交通機関の不調とか、なんでもいいから言い訳をしろ。でないと俺の立場が無い。言い訳はおまえが考えろ。」
これが怒られた理由である。それが大人のルールでしょ、と。
なるほどね、と思わされる話である。

僕がこの歳になるまでの間に、「オトナになればわかるよ」という台詞を何度聞いたか知れないが、実際に学生を終えて社会に出てみてから理解した「オトナ世界のルール」は数知れない。本音と建前を使い分け、時には騙されたフリをしたり、時には言葉を飲み込んだり。

僕はこの「オトナになればわかるよ」という台詞が大嫌いだった。説明してくれればいいのに。説明できないの?それとも僕の理解力を侮っているの?オトナの貴方はオトナであるというだけで、コドモの僕より賢いつもりなの?くだらない!くだらないオトナ!

なんて、コドモっぽく反抗していた頃に比べたら、僕も随分オトナになったと思う。じゃあ今は僕がコドモに対して「オトナになればわかるよ」って言うかというと、それはやはり言いたくない。昔の自分が嫌いだったくだらないオトナに自分がなるなんて、なんとしても避けなければならない。

(余談だけどつい先日、僕があるアイデアについて話しているところへ「それはうまくいかないと思うよ」と言ってきた奴がいたので「何故?」と尋ねたら「やってみれば分かる」と返答された。話にならないとはこのことである。)

オトナの世界は複雑だから?そんな風に片付けたくはない。世界は誰に対しても同様に複雑で、かつ、調和がとれて美しいものだ。

「借り暮らしのアリエッテ」感想

ネタばれ無しで。

世界観はとても良かった。
スケール感の表現は良くできていたし、液体の表現には特に気を使っていたようで、面白かった。

ハルさんが悪役すぎるのが残念だ。悪役に魅力があるのは大事なこと。クシャナもエボシ御前も魅力的だった。ムスカはチョイ悪だけどな。

オープニングの引き込み、エンディングの爽快感に物足りなさを感じる。例えば「千と千尋」なんて、オープニングタイトルが出るまでの流れでもう泣きそうだった。これは監督の力量の差か。

ラストシーンの「指の質感」への指摘は内田樹氏に同意。

あとあれだ、劇場で洗濯バサミの髪留めを配るといいんじゃないかと思った。

我妻尚子先生

中学校でお世話になった先生の告別式に行ってきた。
享年58歳。
にこやかでエネルギッシュで、自信に満ち、芯の強い先生だった。
遠慮なくはっきりとモノを言うスタイルは、当時の僕と親和性が高かった。

ひとことで言えば、とてもかっこいい先生だった。

僕は我妻先生から英語を習ったが、その後先生は、教育における家庭科の重要性を強く感じ、自らの意思で家庭科に転向。
2年前に大腸がんが判ったが、闘病しながらこの3月まで授業をされていたそうである。

自分の死を見据えての家庭科の授業、さぞかし有意義なものであったろう。
実際にその授業を受けたわずか数百人の中学生は、自覚はなくとも間違いなく強烈な影響を受けたに違いない。
それが決して暗く重たいものではなく、前向きで、未来に開けたものであったことを、僕は疑わない。

see also: ランディ・パウシュの最後の授業

「マイマイ新子と千年の魔法」大した事件も無く、悪者もおらず、でも確実にじわっとくる。そういう映画が好き。

http://www.mai-mai.jp/ ラピュタ阿佐ヶ谷にて。

映画を見て涙が出ることは、僕はほとんど無い。
別れや再会、死のシーンではまず泣かない。

でも、この映画はちょろ泣きした。
軽く細やかで、確実にじわっとくる。

ジャグリングの極意で、「簡単な技は難しそうに、難しい技は簡単そうに見せる」というのがあって、通じるものがあるかも。
別れや死のような、そもそもが重たいシーンは努めて軽く流し、さして大事件でも無い、なんでも無い場面の、小さな小さな感情の起伏を、丁寧に丁寧に描く。

そういう映画が、僕は好きみたいだ。

「算数マジック」終了

千代田区立図書館の粋な計らいで、小学校3~6年生を対象に算数の講義をさせていただいた。
内容は以下のとおり。

・自己紹介
・セルフワーキングトリック「好きな科目は?」
・日食の説明には嘘がある:天体のスケールの話
・人口のスケールの話
・お金のスケールの話
・5進法、2進法の紹介、掛け算の筆算
・不可能立体を作ってみよう
・さいころ展開図のクイズ
・「にじげん君」の世界の話
・4次元世界の紹介と、4次元立体の3次元展開図の紹介
・「打ち出しの原理」を使った数字あて

2時間でこれを全部しゃべったわけだが、こうして書き並べてみると、なんともとっちらかった内容である。
1回限りの講義だと言うことで、「広く浅く」を目指した結果、こうなった。
準備に要したのは12時間くらい。うち、講義の内容を決めたり、教材を準備したりといった時間は4時間ほどで、残りの8時間は脳内での会話シミュレーションである。
役に立ったかどうかは定かではない。
普段、関わりあいのない年代で、「何を知ってて、何を知らないか」が掴めず、無意識のうちに難しい単語をたくさん使ってしまったように思う。
スケールの話の前に、「スケールとはなにか?」を話すべきだった。
「展開図」も、聞けば小学5年生で習う内容らしいので、「展開図とはなにか」をまず話すべきだった。

手元のレジュメには、上に挙げた以外の話題もメモしてあったのだが、時間が無くていくつか割愛した。
・演算子を勝手に定義しよう
・音と数学の話
など。
冒頭の、距離のスケールの話題と合わせて、Google mapを使った展開も考えていたのだが、これもカット。

算数以外の話題も、学校の話、勉強法の話、テストの話、受験の話などなど、コンテンツはいくらでもあったのだが、うっかりカットしてしまった。
これは話すべきだったととても後悔している。

2時間を一人でしゃべり続けた経験は実は今回が初めて。
反省はあるものの、お子さんたちは最後まで飽きずに聞いてくれたようだし、まあ、悪くは無い出来だったかな。

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