血液型トークの楽しみ方

血液型トークが始まってしまった時、これを平和的に回避するのは案外難しい。

「人間の性格が4種類のわけないのに、馬鹿じゃないの」
「そんなに血が好きならドラキュラの子になっちゃいなさい」
と、いうような、頭ごなしの否定は解決を生まない。

「あの人達は4種類しか性格を区別出来ないのねきっと」
「他に話題が無いんでしょ、可哀想な人たち」
と、いうような、皮肉めいた陰口も、問題の解決には何ら寄与しない。

マーケティングの有名な例題で、「もっと速い馬が欲しい」という話がある。
顧客が本当に欲しいのは馬ではなく「もっと速い移動手段」なのだが、顧客は馬より速い乗り物を知らないのだ。

この切り口で考えてみよう。
そもそも、何故彼らは血液型トークをしたがるのか?

分析すると、血液型トークには以下の要素が含まれている。
・自分がどんな性格(と思われたい)かを伝える
・相手はどんな性格(のつもり)なのかを聞き出す
・相手の血液型を推測することで、相手の印象を伝える
・自分の血液型を推測させることで、自分の印象を聞き出す
・相性について意見交換する

このように書き並べて見ると、血液型トークというのは思いのほか多機能であることがわかる。
彼らは、血液型の話題を通して、お互いの性格や印象について情報交換したいのである。
その会話の潤滑剤として、血液型という社会常識を利用しているのだ。

では、これらの条件を満たす、何かもう少し別の話題はないだろうか。

そこで「兄弟姉妹トーク」である。

「お兄ちゃんいそう」「当たり!なんでわかったの!」
「一人っ子でーす」「おれもー!」
「末っ子でしょ」「脳内には妹がいるけどな!」

兄弟姉妹構成は性格形成に影響する。(少なくとも血液型よりは確実に)
そして、兄弟姉妹トークは上述した血液型トークの機能をほぼ満たせるはずである。

残念ながら、現状では1つ足りないものがある。
それは「A型は几帳面」「B型はちゃらんぽらん」というようなわかりやすいステレオタイプだ。
「末っ子は甘えん坊」「長男長女はしっかり者」などある程度あるが、これをもう少し体裁を整えて、マジョリティに流布させれば、血液型トークを駆逐出来る可能性がある。
「末っ子だけど甘えん坊じゃない!」とか、もちろんもろもろ言いたいことはあるだろうが、それはそれぞれ会話の中で弁明すれば良いのだ。「末っ子だけど長女っぽいよねー」とか「一人っ子系の三姉妹」とか。やつらだって「B寄りのA」だの「ABらしくないAB」だの好き勝手言っているではないか。
会話のスタート地点としては「共通の基盤」があったほうがいい、というだけのことだ。

兄弟姉妹トークは、何らかの事情で家族構成を公にしたくない場合には具合が悪い。
ここで改めて気付くのは、血液型トークがそういった不都合をなんら抱えないという重要なメリットである。
追加の個人情報をさらけ出すこと無く、個々の性格について話題にすることができるというのは、極めて機能的と言わざるを得ない。

こんなのはどうだろう。
「A型、B型、O型、AB型」というのを、血液型の分類ではなく、「性格のパターンに名前をつけたもの」と脳内で再定義してしまうのである。
つまり、「血液型はさておき、あの人の性格はA型っぽい(几帳面タイプだ)」とか、「血液型はさておき、あの人は自分のB型らしさ(ちゃらんぽらんな感じ)を自分で気に入っているようだ」というように受け取れば良いのである。
この場合、人間の性格を4つに分類するというよりは、味覚でいうところの「甘さ、辛さ、苦さ、酸っぱさ」のようなものだと思えばよい。
味覚が4種類しか無いなんて思ったら馬鹿馬鹿しいが、「総じて甘い」とか「甘辛い」というように複合的に様々な味を表現するのだ。
その代わりに、A,B,AB,Oと便宜上命名した4つの性格要素で、人の性格を議論しようと、まあそういうことなのだと納得できるのである。

ところで僕の中の分類は「ハンバーガーショップ」に刷り込まれているので
・やたらと細かい A型
・ちゃらんぽらんな B型
・人を支配したがる O型
・二重人格の AB型
ってことになってますが世間一般ではどうなんですかね。

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