心配されたくない

「心配する」というのが、優しさの表現のように世間では考えられているふしがあるが、僕自身に関して言えば、心配をされてもちっとも嬉しくなくて、下手をするとイライラしかねない。そういえば、ずいぶん小さい頃からその傾向があったように思う。

以前、ある女友達と、こんなやりとりがあった。
「私ね、ドジで、段差とかあるとすぐつまずくの。」
「あら、そうなんだ。」
「だから、付き合いの長い友達はみんな、私と一緒に歩く時は、そこ段差あるよ、とか、そこ滑るから気をつけてね、とか、過剰なまでに言ってくれる。」
「へぇ、へんなの。。」
「変?」
「いや、僕がエスコートするなら、そうはしないだろうと思って。」
「どういうこと?」
「段差や滑りやすいところに近づいたら、出来るだけ相手に気づかれないようにそっと注意を回しておいて、実際に体勢を崩した時に初めて手を差し伸べる。」
「そういうタイプは今までいなかったな。」
「そっか。」

どちらが良いとか悪いとか、正しいとか正しくないとか言うつもりは無い。心配されて嬉しい人間と、心配されても嬉しくない人間がいる。それだけのことだ。
相手を想う気持ちがあってこそ相手を心配するのだから、それを素直に喜ぶべきというのも一理あるし、心配なんて煩わしいばかりで何の役にも立たないというのもまた事実だと思う。

面白いのは、両方の種類の人間がいるというところまではなかなか頭が回らなくて、心配されて嬉しい人はついつい誰彼構わず心配を表現するし、僕みたいに心配されたくないタイプの人は、積極的に心配を表現することを控えがちなので、普段は冷たい人だと思われてたりして、いざ緊急事態が起きた時に手を差し伸べると「意外」とか言われたりして、僕としては「あたりまえじゃん」と思っているのに、下手をすると「普段そんな人じゃないのに何故?何か下心が。。」などと余計なことを勘繰られたりして、良いこと何も無いな。早いとこ改めよう。

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