アーカイブ ‘ 2009年 5月

Tweets on 2009-05-24

  • Chitty Chitty Bang Bang の映画を見た。幼少の頃、非常に気に入っていた映画のひとつだったのだが内容をすっかり忘れており、久しぶりに鑑賞するに至った。期待を裏切らない、すばらしい映画だった。 #

Tweets on 2009-05-20

  • 知らぬがボドゲ #

Tweets on 2009-05-19

  • 素餃子物理学: 世界のあらゆる事象は、素餃子と3つの調味量子(s:醤油、r:ラー油、v:酢)で記述できるとする理論。 #
  • 基本素餃子として現在確認されているのは、水餃子、焼餃子、揚餃子の3種であるが、この他にいくつかのゲージ餃子があると考えられている。 #

Tweets on 2009-05-15

  • 悲劇戦隊 アワレンジャー #

心配されたくない

「心配する」というのが、優しさの表現のように世間では考えられているふしがあるが、僕自身に関して言えば、心配をされてもちっとも嬉しくなくて、下手をするとイライラしかねない。そういえば、ずいぶん小さい頃からその傾向があったように思う。

以前、ある女友達と、こんなやりとりがあった。
「私ね、ドジで、段差とかあるとすぐつまずくの。」
「あら、そうなんだ。」
「だから、付き合いの長い友達はみんな、私と一緒に歩く時は、そこ段差あるよ、とか、そこ滑るから気をつけてね、とか、過剰なまでに言ってくれる。」
「へぇ、へんなの。。」
「変?」
「いや、僕がエスコートするなら、そうはしないだろうと思って。」
「どういうこと?」
「段差や滑りやすいところに近づいたら、出来るだけ相手に気づかれないようにそっと注意を回しておいて、実際に体勢を崩した時に初めて手を差し伸べる。」
「そういうタイプは今までいなかったな。」
「そっか。」

どちらが良いとか悪いとか、正しいとか正しくないとか言うつもりは無い。心配されて嬉しい人間と、心配されても嬉しくない人間がいる。それだけのことだ。
相手を想う気持ちがあってこそ相手を心配するのだから、それを素直に喜ぶべきというのも一理あるし、心配なんて煩わしいばかりで何の役にも立たないというのもまた事実だと思う。

面白いのは、両方の種類の人間がいるというところまではなかなか頭が回らなくて、心配されて嬉しい人はついつい誰彼構わず心配を表現するし、僕みたいに心配されたくないタイプの人は、積極的に心配を表現することを控えがちなので、普段は冷たい人だと思われてたりして、いざ緊急事態が起きた時に手を差し伸べると「意外」とか言われたりして、僕としては「あたりまえじゃん」と思っているのに、下手をすると「普段そんな人じゃないのに何故?何か下心が。。」などと余計なことを勘繰られたりして、良いこと何も無いな。早いとこ改めよう。

Tweets on 2009-05-11

  • 月に代わって、お見知りおきを。 #

Tweets on 2009-05-08

Tweets on 2009-05-07

  • どう嬉しいのか、よくわからないなあ。。 GH1のマルチアスペクト http://bit.ly/O49Sz #

Tweets on 2009-05-06

  • ban, bang, burn はどれも激しく攻撃的だが、晩、番、盤はどれもどっしりと静かなイメージ。 #

Happy happy wedding!

手品サークルのメンバ同士のご結婚式で、またまた披露宴司会を承った。これで3度目。
自分のようなアマチュアに大役を任せてもらえることを毎度ながら嬉しく思う。
前日と前々日にはカラオケボックスに行き、実際にマイクを持って繰り返し練習した。
僕はまだ自分の発声のコントロールがうまくないので、望み通りの発声をするには試行錯誤しないといけない。

当日、本番の直前に、会場のキャプテン、音響係、照明係が一堂に会して打ち合わせを行う。
キャプテンが「では、お願いします」と言ってから、沈黙すること10秒。
ここはどうやら「司会」がリードして進行の流れを確認しなければいけなかったようだ。
司会の舞台裏のお仕事については全く知らないので、おろおろしていたら、「あ、では私が、、」と、キャプテンが気を利かせてくれた。
この失敗、前回もやった気がする。
勉強しておかないとなあ。。。

幸い本番には大きな失敗もなく披露宴はお披楽喜となった。
とはいえ、途中、なんとなく間が空いてしまったのに、台詞を用意していなかったためにしゃべれなかったりとか、音楽との連携で失敗した点などあった。
台本は多めに用意して、必要無いところは読み飛ばす、というつもりでいたほうが良さそうだ。
それと、当日流れる曲は出来る限り事前に一度聞く。
次回の課題としたい。

新郎新婦にとって、多くの場合、プロの司会は赤の他人である。
僕はまだまだ、プロに及ばない部分は多々あるけれど、二人をよく知っている分だけ、プロには真似できない司会が出来たら良いなと思っている。
そして何より、司会という形で二人を祝福できることが、僕自身とても嬉しい。

幸あれ!

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