「魔法にかけられて」
先に予告編を見ていたので「ディズニーもついにセルフ・パロディ作品を作ったか」と、僕もわくわくしていた。
王子が歌おうとしたところへ自転車がつっこんでくるシーンなんて最高。
一歩引いた所からミュージカルを見たときの滑稽さ。ファンタジィの馬鹿馬鹿しさ。
そういう、ディズニーが今まで作り上げてきた世界を、思いっきり笑い飛ばす、そういう映画だと、思っていた。
見るまでは。
しかし、違うのだ。
ぜんぜん違うのだ。
世界のディズニーは、そんな安っぽい僕の想像力を遥かに上回った。
ディズニーが過去の作品で表現してきたのは、動物が喋り、魔法が実在する世界。子供に対してはその想像力を刺激し、大人に対してはその子供心を思い出させる。
ディズニーファンが増えてゆく一方で、「でも、所詮作り話よね」という見方をする人々も必然的に生まれてくる。このようなシニカルな意見に対しディズニーは「ただの作り話ではない、あなたのすぐ近くにそれはあるのです」という立場をとってきた。(これは彼らの商業の存続のためでもあり、彼らの本心でもあると思うが。)
そこへ、本作品の登場である。
本作品は、今までディズニーが固持して来た立場を覆し、ファンタジィを「作り話よね」と一蹴したのか?
まったくそんなことは無い。
ミュージカルとファンタジィという「あちら側の世界」から抜け出してきた登場人物(とリス)達は、ニューヨークという現実世界へ降り立つ。そこで起こるべくして起こる様々な事件は確かに滑稽ではあったが、それは「そんな風にうまくいくわけないじゃん」というシニシズムを飛び越え、より挑戦的に「こちら側」の世界をファンタジィで侵食したのである。
予告編でチラ見した「王子が歌おうとしたところへ自転車」も、それより前のシーンで既に散々歌っている為に実際には「ミュージカルへの嘲笑」としては機能せず、単に「王子への嘲笑」に留まっている。
製作の段階において、「歌いだす瞬間に自転車が突っ込んでくるとか面白いよね」とアイデアが出て、そこへ別の強いビジョンを持った監督だかシナリオライタだかが「確かに面白いが、ミュージカルそのものを嘲笑したくはないんだ、わかるかい?」みたいなことになったのでは、などと想像する。
ついでに言うと、このシーンだけを切り取って予告編で見せるというのがまた実に小賢しい。
「ファンタジィなんて別に好きじゃないけど、これなら見てやろう」と思った観衆が居たに違いないのである。
おお、なんとディズニーの偉大なことか。
と、ちょっと適当に思いついたことを内田樹風に書いてみた。ううむ。まだ甘いな。