M氏の結婚式に参列してきた
まだ僕が高校生だった頃に、たまたま見に行った手品の発表会で、M氏の演技を見た。
僕は当時それほど手品を知っていたわけではなかったので、そのときの10数人の出演者すべての演技が不思議であったし、新鮮であった。
そんな中で、僕はアンケート用紙の「印象に残った演技」の欄でM氏を選択したのを覚えている。なにしろ、ひときわ鮮烈だった。なにが?と聞かれてもうまく答えられなかったが。
大学へ入学し、手品サークルへ入会し、M氏は僕の先輩になった。ステージマジック以上に、テーブルマジックの達人であることはおいおい知ることになった。
僕が演劇やらダンスやら、いろいろな舞台芸能を見るようになったのは、大学2年生以降のことだ。多少は良いものも見て、多少は目も肥えた。森下洋子の幾何学的に正確な回転、「Fosse」のオープニングに登場するダンサのゆったりとしたsnap、セヴィアン・クローバーの静かな足音。舞台の上の人間の動きを見て、何十メートルも離れている僕が身震いする。そういう経験を数回。
さて、そんなある日。僕は部室でM氏の演技のビデオを見ていた。高校時代に見たあの演技と、2年ぶりの再会。
僕は身震いした。
M氏は、奇をてらうことをしない。基本に忠実で、他の要素を持ち込まない。
そうすると、普通はただのつまらない演技になってしまう。何の見所も無い、ありきたりな。
しかしM氏の演技はそれを超越する。基本に忠実でありながら、あまりに忠実で、あまりに完璧なのだ。
なんとかいう凄腕の画家に、ある素人がスケッチブックを差し出して、「ここに何か描いてくれませんか」と言ったところ、フリーハンドで見事な正円を描いてよこした、という話があったが、それに似ているかも知れない。
そんなM氏の結婚式。
式場は椿山荘。披露宴の司会には、落ち着いたベテランの女性。そんな選択も、実に彼らしいと思う。
なにもかもが、丁寧にレールの上に載って、踏み外すことなく着実に進行してゆく。
この、細やかさ。
小さな穴も見逃さず、丁寧に埋めて磨いてある。
この、滑らかさ。
とにかく、素晴らしい式と披露宴だった。
ひとつひとつ褒めていたらきりが無いほどに。
前置きが長くなった。
そんなM氏のために何かサプライズな企画をしてやろう、と、kanio氏から持ちかけられたのはわずか2週間前のことだった。
手品大好きなM氏を手品で一泡ふかせてやろう、と、OB諸氏の知恵をかき集めてぎりぎりで企画をした。
サプライズの顛末を詳細に記すつもりでここまで書いてきたが、僕はいま急に気が変わってしまった。
書きたいのは山々だ。しかしながら、あの場に居合わせた感動に比べれば、僕がここでどんなに熱弁を振るっても、伝わるのは微々たるものだろう。むしろ、読者諸氏がいつかどこかで巡り合うサプライズの楽しみを、目減りさせてしまうのではと思うのだ。
ちょうど、手品のタネのように。
僕らの計画は成功し、M氏は悶絶し、観客も大満足の中、二次会が幕を閉じた、とだけ書いておこう。
もちろん、手品師が手品師同士で秘密の会話をするように、これからサプライズを企画しようと考えている人間が相談を持ちかけてくるなら、この日のあらすじの隅々を明らかにすることに吝かでは無い。
あなたのもとにも、いつの日か、忘れた頃にサプライズが訪れますように。