前田知洋氏が「F.A.Q. : 座り心地」でクオリアについて言及しているので便乗。
クオリアって何?という人はまずはWikipediaを読んでもらうとして。決して込み入った概念ではないのだが、むしろシンプルすぎて捕らえどころがないかも知れない。
出典が定かでないのだが、「不可能を可能に見せるのが詐欺師、可能を不可能に見せるのが手品師」という言葉がある。詐欺師と客(この場合、カモというべきか)の関係において、行動を実行に移すのは常に客である。ついさっきまで明らかに「可能」と思っていた行動が、実際やってみると「不可能」であることに気づく。不可能を可能に見せられていたのである。
手品師と客の場合、通常は動作を行うのは手品師である。手品師は当然、それをやってのけるわけであるから、それは「可能」なことをやっただけのことである。それがなぜ不思議に見えるかというと、客から見ると「不可能」に見えるからに他ならない。
この時、手品師は客のクオリアを操っている。こういうことだ。AとBという2つの物理現象があって、そこから人間が感じるクオリアがまったく一緒、ということが有り得る。手品師はこれを利用している、というわけである。
右手の親指と左手の親指を、普通は見間違えることはない。が、向きをそろえつなぎ目を巧妙に隠すことで、観客が普段左手の親指を見たときに感じるクオリアと同じクオリアを感じさせるのだ。(この時もう一つ重要なことは、つなぎ目を「隠している」というクオリアを感じさせないことだが、それはまた別の話。)
この、「同値のクオリア」を捜し求めている人種には、ある種の絵本作家、ある種の写真家などのアーティストが含まれるだろうが、量と質において手品師の右に出る人種はないであろう。
1つの体系を構築するとき、「同値」を定義することは重要な一歩である。位相幾何学(トポロジ)では、ドーナッツとマグカップを「同値」と見る。クオリアの「同値」を探ることは、クオリアの研究を進める上で必要になるかもしれない。そのとき、ひょっとするとマジシャン達の知識が資料的価値を持つかもしれない。