アーカイブ ‘ 2006年 3月

退職しました

3月いっぱいで、会社を去ることにしました。去年の今頃は、あちこちで会社自慢話をして回ってましたので、たった1年で?と、驚かれる方もいるかもしれません。
会社自体は、1年前も今も変わらず優秀で優良な会社です。あまり先のことは分かりませんが、今後もしばらくは勝ち組であり続けることと思います。
そんな会社を後にするに至った理由は決して一言では言えません。まず大きな理由の1つは、自分が、自分で思っていた以上に東京人間であったこと。浜松に住んでいながら、土日の9割は上京するという日々が続いており、実に年間40万の交通費を費やしていました。
そしてもう一つは、会社の求めている人間像と自分の将来像とのギャップがいよいよかけ離れてきた、ということ。入社する前は当然この点は充分に吟味したつもりでしたが、外から見える印象と、中に入ってみての体感ではやはり違うものです。これは一般的にどんな組織でも多かれ少なかれありがちな事象と言えましょう。加えて、自分自身の将来像がよりunstrictな方向へシフトして行った効果もあります。手品界に本職を置きつつ着実にビジネスを展開してゆく友人、怒涛のスケジュールであっという間に自分のカフェをオープンするに至った友人、趣味でやってたはずのイベント企画の業績が大学側に認められ、研究室と予算を与えられた友人。そういった中で、僕が思い描いている人生観はまだまだ貧困であるように感じたわけです。生き方の可能性について、より広く模索するように。この1年間でシフトしたわけです。

一方で、「入社一年で辞める」というのは近年の若者の1つのパターンであって、そこに自分が該当してしまうということへの恐怖感もありましたし、折角採用してくださった会社に対して充分に恩返し出来ていないことへの後ろめたさも当然ありました。しかし、長くいればいるほどに自分への責任と辞めたときの影響も大きくなってゆくわけです。ならば早いうちに、ということで。
他にもいろいろと考えました。1ヶ月もすればまた考えが変わるかもしれないし、他の会社と比べてみれば改めてこの会社の良さが浮き彫りになるかもしれないし。
悩むこと1ヶ月。結論は変わらず。いざ、さらば。

まあ、皆さんご存知の通り、「職に困る」という状況ではありませんのでご心配は無用ですが。
既に内定は頂いており、5月までには都内生活の体制を整え、心機一転の予定。

京都観光

朝、8時前に到着。まだ、どこに行くか決めてない。
適当に当たりをつけて、バスで東へ。寺を巡るというより、ひたすら町並みを歩く。
円山公園のしだれ桜に差し掛かったが、惜しい。まだ咲いてなかった。060325_090047 (Medium).jpg

ほんの少しバスにのって北へ。またまた町並みを歩く。いちおう、南禅寺には寄った。水道へ登ると、そのままずっと水流をさかのぼってゆく道が続いていた。なかなか気持ち良い。

中学の修学旅行で初めて京都へ来た。今はとてもそんなことする気にはならないが、どの順番で何番のバスに乗ってどこで降りるか、事前に全て計画を立て、バスの時刻表まで調べてタイムテーブルに記入した。そういう、綿密な計画、というのが教育の一環だったわけだ。それはさておき。そのときたまたま、金閣寺の近くにあった「おむらはうす」というオムライス専門店に行くことになった。それが、びっくりするほどおいしくて、ずっと店の名前が記憶に残っていた。

それから10年近く経ったある日、家族で京都へ行った。僕はおむらはうすを思い出した。とにかくおいしかった気がする、という、あやふやな記憶を当てにして、家族を連れて行った。これは賭けだった。良い思い出は、そっとしておいたほうが良かったかもしれない。中学生の頃の「おいしかった」なんて、まったくもって信用できるものではない。でも、真実を知りたくて、僕は店に向かったのである。 続きを読む

Gmailを咬ませてみた

僕のメインアドレスをgmailアカウントに転送し、pop3とsmtpをgmail経由にする、という風にしてみた。

  1. (滅多にないが)自分のPCが使えないときでもメールが読めるようになった。
  2. 自分のPCのHDDが死んでもメールは被害をうけないようになった。
  3. SPAMがフィルタされるので、特にAirH”でメール受信するときとかは転送量が減ってうれしい。

と、いったようなメリットがあって導入に踏み切ったのだが、 Gmail: ヘルプ センター – 自分のメッセージが自分に届かないのはなぜですか。 が、若干ネックだ。gmailを本当に普通に使ってる人はそれでいいんだろうけど、MLへ投稿した自分の発言が戻ってこないのはけっこう気持ち悪い。

そこで、送信時にはgmailのsmtpを使わず、そのかわり常時BCCでgmailへもコピーを送るようにしてみた。ところが今度は、送信したメールがすべて一度gmailの受信箱へ入ることになり、popで自分へ戻ってきてしまう、という困った現象に。

まだ解決してない。むむむ。

「すいません」

レストランに入ると二言めには「すいません」と言ってしまう人はどんなひと?
1. いつも銭湯と間違えてレストランへ突入してしまうひと
2. 有名芸能人と顔がそっくりなひと
3. タバコがキライなひと

「東京駅ルネッサンス」

JR東日本:東京駅ルネッサンス 特別イベントのご案内がめちゃめちゃ面白そう。(僕が昨年秋にハンドモデルでお世話になったna-ru.co.jpが企画参加しているようです)

。。。なんだけど僕は見にいけなさそうです。涙。誰か東京駅通りかかったら見てきて。(あ、東京駅でバイトしてるヤシがいるではないか。)

結婚式へ行った

従兄の結婚式。なにやら陽気でライトな雰囲気の牧師さんのトークを聞きながら、僕は「誓います」と「違います」が似ていることに気づいてしまった。

「あなたの妻を生涯愛することを誓いますか?」
「違います」
「違うぞゴルァ!」「ホコサキさん!」

自分の結婚式は厳粛にしたいものだなあ、と思ったがまあ無理だろうという気がしてきた。
(結婚?過去にしたくないと思ったことはないが、未来のことはわからない。「式」に別段憧れはない。)

今更だが、自分はやっぱり両親に似ているのだな、とつくづく思う。外見は近頃急に父親に似てきた。
性格なんかも似てくるんだろうか。つまり、僕が知っている30代以降の両親は、僕の血の中で密かに眠っていて、僕が30代になったころに目覚めるんだろうか。
別に悪い気はしないけれど。ただ、そんな堅牢なタイムカプセルが体内にまだまだ眠ってて、これから開いてゆくのかと思うとちょっと面白いと思った。

夜は浜松の我が家で家族四人宿泊。寝るのにはそれほど不自由を感じなかったけれど、翌朝、洗面所が混み合ったかな。

“Me Write Book”

Seanの愛犬Bennyと、昨夏以来の再会。Bennyは最初の1年を日本人に飼われていたので、日本語しかわからないんだって。
%subj%は、Big Foot(雪男?)がアメリカにやってきて生活する、という回想録風の絵本で、ブラックジョークが満載。「乗り物になるバイト」とかいうページでは、金持ちの女性がBig Footの肩に乗って、なんか食べながらピストルをぶっ放してたりする。絵本といってもこれは明らかに大人向けだ。この、日本と欧米の絵本への認識の違いのルーツはどこにあるのか誰か教えてください。
今日初めて参加した女性が、顔見知りと偶然遭遇したとかで、だから、浜松せますぎるってば。

劇団碧「かつてこの島で」

3/11,12 計6回公演
「かつてこの島で」入場無料。
http://www.geki-heki.net

過去の公演と比べるとストーリィがちょっと弱かったかな、という印象。まあ、それは原作者の責任なのでレビューとしてはハズレですが。楽曲は耳に残るものが多く、とても良かった。キャストの音大生比率が格段に増え、歌は聞き応えがあったかも。
なんといっても今回の目玉は舞台美術と演出。団長の市川洋二郎氏が「神が降りてきた」と自画自賛(まあ、彼は割といつもそんな調子だが)していたが、頷くほかない。プロ級ですよ。本気で。

* 舞台に生きる
一昨年だったか、ちょっとした伝で永井寛孝氏と話をさせてもらったことがある。脚本家のプロである。その彼が、僕が春に大学を卒業して社会人になると聞いて、こう言った。
「じゃあ、春からはますます好きなことができますね。」
当時、多くの友人たちが「社会人になったら、舞台はすっぱりやめる」などと、やめることばかりを口にしていた中、彼が当然のように言った一言は印象的だった。

浜松はせまいが日本もせまい

エリアソン展を閉館のぎりぎりまで粘って、いっそ最後の客になろうという勢いでミュージアムショップをうろうろしていたら、浜松英語村のメンバとそっくりの外国人女性を発見。うーん、似ている。ついつい、ちらちらと見てしまう。声も似ている気がする。。。まさか本人?いや、浜松で会うならともかく、ここは大都会東京だ。ありえない。。。

“Wow!! Kohei!!??”

本人でした。一緒に夕食しました。その後彼女は新幹線で帰り、僕は深夜特急で帰りました。ちゃんちゃん。

オラファー・エリアソン展

原美術館(サイト見づらい)@品川へ。今日までというのに駆け込み。
光の特性を巧みに利用したシンプルで強力な作品の数々は確かに僕の好みにはぴったりで、駆け込んだ甲斐があった。

去年の今頃は、生まれて初めての一人暮らしを目前に、インテリア雑誌とインテリアショップを片っ端からインプットしていた頃だ。部屋の雰囲気はまず照明(あるいは窓の使い方)で決まる。光源こそが指揮者で、家具や家電の色合いをどう工夫してもその指揮棒の範囲を超えることはない。
しかしここに、ミラーやプリズムといった光学特性を持つ素材を導入することを考えると、それらはソリストのように振舞う。その強烈な個性は時に部屋全体の調和をかく乱させるまでの力を持っている。そしてもちろん、完全に調和したときには、そこにソリストが加えられる以前には存在し得なかったまったく新しい価値が生み出される。

今日見た作品は例えていうなら、僅か数人の慎ましいソリストと寡黙な指揮者が、完全に調和した音波でコンサートホールを圧倒したような、そんな感じだった。

たとえ話ってあまり好きじゃないんだけど、敢えて書くならこんなかんじだろうか。R君。

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