アーカイブ ‘ 2005年 6月

なぜ日記を書くのか

ひとことで言えば、自己紹介の代わりです。
長い長い自己紹介を、日々少しずつ書き続けている、と言っても良い。

人間ひとりをまるまる表現するのに必要な情報量に比べて、せいぜい3分のスピーチはあまりに短い。プロフィールやアンケートなどといった箇条書きの文書で、いったい僕の何%が描写できるというのだ。(しばしば、項目自体が気に入らない。なぜそんなに血液型を知りたがるのかと。)

世の中には、「先入観」と「印象」の区別もつかない人が驚くほどたくさんいて、足りない分の情報を勝手にステレオタイプで補った上であたかもその人から受けた印象であるかのようにごっちゃに記憶し、ある日さも当然のように「家事とか全然しない人だよね」などと事実無根の断定発言をしてくるので困りモノである。そういう人たちには、いわゆるプロフィールの項目に書くような情報は出来るだけ教えたくない。
代わりに、日々の思考の断片を通して、僕という人間を直視してもらいたいわけ。

そんなコンセプトで僕が日記の公開を始めたのは2000年の9月。古い日記はもはや他人のようで、自分で読み返すのもちょっと面白い。

なっちゃんの夢

あらかじめ断っておくが今回はオチはない。
ちょっと面白くて鮮明な夢を見たので、書いておく。

なっちゃんは、髪が腰の上くらいまで伸びてて、大きなおでこをくっきり出した、小学3年生くらいの女の子。僕が毎朝歩く道を、いつも後ろから元気良く走って追いついてくる。その走りっぷりがちょっと面白い。小柄な体は小刻みに揺れているけれど、くっきり出てるおでこは、ほとんど揺れずにすべる様に走るのだ。視界の揺れを抑える走り方を、自然に身に着けたのかも知れない。そして、足音がしない。まったくしない。いつも白いワンピース。
なっちゃんに追いつかれると、僕も同じペースで走り出す。するとなっちゃんは決まって怖い話を始める。僕はそれを聞いているが、話が盛り上がってきたところに急に割り込んで、「怖い」ところを先に言ってしまう。それを聞いたなっちゃんは半ば喜んでいるような半ば本当に怖がっているような様子できゃあきゃあいいながら走るペースを上げて、次の角を折れてどこかへ行ってしまう。僕は追わないし、ただ、明日もなっちゃんに会えるのを楽しみにしながら道をまっすぐ歩く。

そんな日課。

お話はおしまい。目が覚めた瞬間まで、なっちゃんの顔は鮮明に覚えていたんだけれど、誰だかさっぱりわからない。

べつに怖い夢じゃあないです。一切の夢判断および、同じ夢を見たことあるとかいうコメント並びにメールは禁止。怖そうだから。

親切な占い師

去年の秋ごろだったか。僕は毎週、即興劇のクラスを受講していて、その自主トレーニングとして短編を書いてみようと思い立った。10分というタイムリミットを決めて、とにかく話を作る。それを毎日やってみよう、と。
ところが、最初に書いた作品がなかなかに気に入ってしまい、もっときちんと練りこみたくなった。足りない部分を補いつつ、一番表現したい部分を最小限の言葉で伝えるように。
そうこうしているうちに時が経ち、そろそろ公開してみようかな、と、いう次第。

創作短編を書くなんて、中学校の課題以来かも。まあ、僕と面識のある人なら、多少は楽しめるんじゃないかな。(大抵の芸術作品はそんなものだ。作品だけで感動させれば本物だと思う。)

前置きは以上。では、どうぞ。親切な占い師

週間習慣

毎週水曜日20時からジャズダンスを習い始めた。
明日は朝から会社で、査定にも響くと噂の(ほんとか?)新人研修発表会。私用どころではない雰囲気が同期の間に蔓延しているが、ばっちり運動着を持って今朝も出社した僕である。
公私混同しないってそういうことなんじゃないの、っていうのは拡大解釈ですが、いままでずっとそうやって来て、今の僕があるわけです。
試験前日だろうと1週間前だろうと、1時間の重みは1時間。試験前日に予定が入ったら、そもそも存在しなかった時間と思って間に合うように準備するってことですよ。

っていうのは理想論で、まあ、僕もいつもいつもそれが出来るわけではないのだけれど。結局ぎりぎりになってやっぱり準備が間に合ってないってことはまああるわけで。それでもやっぱり決めておいた予定を優先しちゃって、翌日は「ごめんなさい間に合いませんでした!」で済ませるのが僕。

僕が崇敬している森博嗣氏は、大抵締め切りの数日前に原稿を出すそうな。そうありたいものです。

秘密の秘密

「みーちゃんは、誰が好きなのぉ?」「ゼッタイおしえなーい」「お願い~」「じゃあ、ヒントね。」
おい!なんだヒントって!どうせ教えるなら始めから秘密にするな!
とまあ、たまに小中学生の会話が耳に飛び込んできたりして内心突っ込みを入れた記憶が皆様にもあるかと思いますが、お馬鹿な若者、で片付けてはいけない。そういった会話が蔓延しているという現実には、かならず機構が存在する。
実は、冒頭のやり取りは決して非合理な会話ではない。仮に「誰なのぉ?」に対し、その後のプロセスを一切省略するという合理的な判断をもって即座に即答(早い!)した場合、以下のような不具合が発生する。
1.情報の機密性が過小評価され、不必要な伝播を促す。
2.情報の価値が過小評価され、曲解、誤解を生じさせる。
3.発言者の、機密情報一般に対する意識が疑われる。平易に言えば「口が軽い」と認識される。

本気で秘密にしたいのであれば、ヒントもヘッタクレも無く一切口外しなければ良いわけであるが、これを(何らかのまわりくどい手段を用いるにせよ)口にするというのは、「適度に伝播する」ことを期待しているわけである。この、「伝播の程度」を調整する目的で、ヒントの難易度が決定されると考えられる。

以上、「問題分析」の実践でした。うーん、新社会人ぽい。笑

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