アーカイブ ‘ 2004年 10月

渡英前夜

「ねぇ、イギリス行かない?」誘われたのが10/10。ロンドンに5泊、往復飛行機と朝食付ホテル代と現地での地下鉄フリーパスまでセットで8万円。劇団碧団長であるI氏は帰国子女なので、現地でのコミュニケーションは安心だし(頼ると身にならないというが、学習に良い辞書は必須じゃあないかね?)、ミュージカルや美術館好きの彼となら、有意義なツアーコースが組めそう。あらゆる条件は申し分ない。行くしか。

というわけで、明日の12時の飛行機に乗って、11/1朝に帰国です。向こうでネットが使えたら、旅行記を随時更新するかも。お楽しみに。

オートシャンプー

へぇ、あるんだ、実際。でもあんま気持ちよくない。マッサージ感が足りないのだな。

神宮球場

卒業前に一度くらい、母校の野球部の試合でも見に行ってみようではないかと。気づくと今日は最後のチャンスであった。ここ数年の僕しか知らない人は、あの黒尽くめの応援団の指揮に合わせてメガホンを振り回す僕なんてちょっと想像できない、と思うかもしれないが、高校時代の僕はまるっきりそういう人格だったのですよ、実は。

というわけで、応援団の独特のユーモアも初めてではないのだが、いやはや、面白かった。試合自体は10-1の完敗で、まるで勝てる気がしなかったが、何度かファインプレーや三塁打を拝めたのでまあよしとしよう。そんなことより応援団が面白いのである。戦況に合わせて、団員が(おそらくアドリブで)掛け声をかけ、観客がそれをリピートするのであるが、こんな感じ。

「おーい 法政(相手校) 同情するなら 点をくれ」

「おーい 法政 そろそろ 打ち止め」

「おーい 法政 まあ 落ち着け」

「おーい (ピッチャーの名前) ランナーいても 知らん振り」

「おーい (ピッチャーの名前) 三球三振 予定済み」

少ない単語とリズムに、戦況とエールとユーモアを巧みに織り込む感性には、和歌を彷彿とさせるものがある。

奇術愛高校

所属サークルで、年に一度の学外発表会。なにしろこんなタイトルのショーだったので、高校時代の学ランなんぞ着てみる。(本当は、普段着られない服をこういうときに着られるのって結構楽しい)開演前の客席サービスも、僕は今年で5年目。

他大の関連サークルの友達には、まだやってるの?なんていわれる。一応今年までは学生なので。今年で終わり。もし、来年やったら、きっと再来年もやるのでしょう。そんで、50とか60になってもやってんの。それはそれでかっこいいかな。

ニョロニョロ

台風直撃も(文字通り)上の空みたいな地下鉄の売店で、並べてある缶コーヒーの上に、高さ4センチほどのフィギュア。彼は、ほとんど反射的にそれを手にとってしまったようだった。ニョロニョロっていうのは、ムーミンに出てくる謎めいた生物である。ニョロニョロと缶コーヒーを交互に見る。缶コーヒーは飲まない主義なのかも知れない。小さな視線の動きで、彼のささやかなプライドを賭けた熾烈な葛藤を表現している。

「このコーヒーのおまけですか?」「いや、もう終わっちゃったのよ。それは残り。」ニョロニョロを見つけた瞬間に灯った彼の目の輝きが、売り切れと知ってはかなく消えてゆく。その一部始終を、店員のおばさんはつぶさに見つめていた。

「いいよ、持ってって。」直後、彼の目は再び輝いた。「あ、ありがとうございます!」「また寄ってね。」

わずか30秒のドラマだった。いいタイミングでやってきた車両に乗り込んで、僕は満足げに今のシーンを頭の中で再構成し、また楽しんだ。ポケットの中で、手に入れたばかりのニョロニョロをいじりながら。

Cliche

“自分を中心に世界が回ってる”そういう見方も可能です、物理的には。

“聞いてるだけで頭痛くなる”診てもらったほうがいいです。真面目に心配。

“私、頭悪いので”不用意に口にすると自己催眠効果で真実になっちゃいますよ。

“承知しないからな!”ジャイアンですか、あなたは。

Little Shop of HORRORS

劇団碧第3回公演が超満員で幕を閉じた。手前味噌で申し訳ないが、こんなに逸材が集まってしまった学生劇団も珍しい。

7月。僕はサディストの歯医者“オリン”の役を当てられた。映画版しか見たことの無い僕は、正直、作品自体があまり好きではなかった。まして、あっという間に死んでしまう悪役である。どうしたものか。。。本格的に練習が始まったのは8月の後半。自分がストーリーの中で果たすべき役割がだんだんわかってきて、作品自体の持つメッセージ、その表現の絶妙さも次第に見えてきた。映画があまりにも三流でその印象に引きずられていたが、なんだ、意外と悪くない。

役を演じる、というのは、僕にとっては一種の最適化問題である。つまり、与えられた台本という境界条件を満たす人物像の候補領域が多峰的に存在していて、その中から、自分が演じやすい解を探し出す。今回はサディストという設定がネックだったが、どうにか妥協点にたどり着くことができた。暴力を振るうが、人を憎むことはしない。鋭い繊細さ、貫く純粋さ。危ういバランスを、子供っぽい残酷さが支えている。そう、彼には、罪の意識がない。これが、僕が掴んだオリンのイメージ。だからこそ、最期のシーンは丁寧に仕上げたつもりだ。如何なものだったろうか。

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