クレイジーフォーユー
実は、初「劇団四季」だったりする。3階バルコニー席の最前列から鑑賞。この席、悪くないと思うけれど。
一部の終わりの、いろんな小道具を次々と使ったタップのシーンが僕の好みにすっかりはまり、どうにも興奮が抑えられず。随所にちりばめられたベタなコメディーも、僕は大好きで。
もう、とにかく、とてもとても気に入ってしまって、家に帰ってからこっそり一人で真似とかしてみました。ああ楽し。
実は、初「劇団四季」だったりする。3階バルコニー席の最前列から鑑賞。この席、悪くないと思うけれど。
一部の終わりの、いろんな小道具を次々と使ったタップのシーンが僕の好みにすっかりはまり、どうにも興奮が抑えられず。随所にちりばめられたベタなコメディーも、僕は大好きで。
もう、とにかく、とてもとても気に入ってしまって、家に帰ってからこっそり一人で真似とかしてみました。ああ楽し。
千葉の山奥に、祖父が大昔に購入した土地があるとかで、今日は家族でそれを見に行った。伯母のあやふやな記憶によると、敷地の中に川も流れているとかで、それはいい、少しずつ開拓して、リゾート地にしよう、今年はとりあえず果物の苗をいくつか植えよう、というような展開である。
大多喜町太田代1060という住所のみを頼りに、交番や民家への聞き込みを繰り返し。しかし、家のないところの番地なんて、一般人が知る由もなし、地図にも載ってないというので困り物である。
ようやく、近い番号の民家を発見し、そこへ聞き込みに。そのおじさんに連れられて、山の中へ、中へ、中へ。。。
人の立ち入らないような深く険しい山の一角が、僕らのリゾート予定地だった。道中の枯れたたけのこを指差しながら、「鹿や猪がみんな食べてしまうんですよ」とおじさん。果物どころではない。道路からこれだけ離れてしまっては、小屋を建てるのも容易ではないぞ。
計画は白紙に戻された。とりあえずテントを持ち込んで1泊してみようかな。そして、夜中に猪におそわれ、死闘の末に勝利して猪鍋をいただこうという計画が代替案として浮上中。同志求む。
行動に反映されない知識は、無価値だ。ノイズだ。
ノイズの多い情報源は、ノイズの除去に労力がかかる。丸ごと捨てて、よりピュアな情報源を探すほうが楽だ。
代表的なのは、テレビ。
少し前から庭園に興味があって、アンテナを張っていたら、友達が教えてくれた。上中里から徒歩7分。期間限定のライトアップ中というのでぶらりと行ってきた。
緑に囲まれた別世界。ジオラマ模型のような、あるいは、映画のセットのような洋館。丁寧に手入れされた庭木、バラ、灯篭、、、、
京都の静かな寺院のような名所が、都内にもあるのだ。観光は、身近なところから。
見に来てくれた友達の曰く「見てるより、やるほうが楽しそう」確かに。
トライアルクラスという、1回1000円のコースがあるので、興味のある方、是非是非。と、宣伝してみたりして。www.impro.jpへ。
しばしば指摘されることである。マイナスとして捕らえられることが多々ある。でも、どうだろう。こうは考えられないだろうか。
yesはyesでも、いろいろな強さのyesがあるし、noにもいろいろある。そういった、微妙なニュアンスに相当する言葉や言い回しが日本語には多いのだ。単純化して言えば、yesとnoの間を欧米人などはせいぜい4段階で使い分けるのに対し、日本人は10段階くらいで細かく表現する、と。「僕」「オレ」「私」が同じ意味でありながらもそれぞれ違うように。その使い分けが理解できなければ、曖昧と感じるのも無理はない、と。
「イエスかノーかはっきりしろ!!」「いいえっす!!」
ちょっと想像してみてほしい。例えば、SMAPが比較的早死にしたとして(飽くまで仮定である)、その没後20年あたりに、SMAPのそっくりさんで、かつ熱狂的なファンである5人の青年が、当時を再現したライブを行う(いろんな意味で設定が無茶だが)。見に来るのは、若かりしころにライブを見に行った記憶もはるか彼方の壮年の世代。舞台と観客の間にある、40年のギャップ。ほら、手拍子もなぜか宴会調に聞こえてくる。。。
Elvisファンの父(原宿にあるエルビスの銅像に、出資者の氏名が彫られているのだが、探すと父の名前が見つかる。)に連れられて、東京国際フォーラムCホールへ。確かに、顔も声もそっくりで、体の動かし方やら、ちょっとした合いの手やら、何から何まで綿密に研究され、細やかにコピーされていた。曲によっては、多少声質の違いを感じたが、全体として違和感は無く、ただただ、感心する。
むしろ違和感のあるのは観客の反応だ。なにしろ舞台上で繰り広げられているのは、20代を対象にしたライブの再現。実際の観客は、40,50,60代である。ついていけるほうが不自然だ。
舞台が進むにつれ、舞台上のElvisが年をとってくる。そう、ギャップが縮まってゆくのだ。バラード調の曲も多くなり、ショーのスタイルも広い世代をターゲットにした形に変わってゆく。
物まねエルビスがジョークを飛ばす。観客の誰もが知っている、あのシーンの、あのジョーク。条件反射のように、観客も、場面の再現に参加し始めた。観客の誰もが、何度も繰り返し見たであろう映像の数々が、目の前で再現される。映像の中の観客の笑い声、歓声、拍手が、自動的に頭の中で再生される。不思議な一体感。
もちろん最後はスタンディング・オベーションだった。観客の誰もが、立つタイミングを知っていたのだ。