「マジック愛好会」
高校時代に一緒に旗揚げした3人で新宿に集合。野外マジックショーを敢行した。
僕は前科有りのベテラン(
高校生くらいの4人組の女の子が、赤十字の献血の呼び込みをしていた。「考えたな。」などと密かに思った。
高校時代に一緒に旗揚げした3人で新宿に集合。野外マジックショーを敢行した。
僕は前科有りのベテラン(
高校生くらいの4人組の女の子が、赤十字の献血の呼び込みをしていた。「考えたな。」などと密かに思った。
交通の便の悪いところであったにも関わらず、案外多くの友達が見に来てくれた。でも、喜んでもらえたようでよかった。本当は、もっと前回と違う手品を準備したかったのだが、いろいろバタバタしている内に時間が過ぎてしまい、結局前回と全く同じになってしまったのが密かに残念。
本日付で卒業であるが、4/1からも大学院生として同じキャンパスに通い、同じ事務室にお世話になったり同じ教授の方々に教わったりするわけなので、気分は進学である。就職してしまう友達や別の大学に進学する友達とは「お別れ」であるが、高校までのように毎日顔を合わせていた訳でもなく、行動範囲もずっと広がっているので、あまり「お別れ」の重みを感じない。
しかしながら、もうすこし感動的であって然るべき、という気がしなくもない。中学のときも高校のときも、ある種の極限的な雰囲気があったものだ。さてさて、なにが足りないのやら。
僕の卒論発表が、40人のクラス内で最優秀賞を受賞した。大学生活で初めての「受賞」である。実はかなり嬉しい。何しろ僕は、誉められるのが大好きなので。。。
春と修羅 第一集 序 より。
わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
なにやら量子論的な世界観を背後に感じてしまうのは、僕が量子論好きなせいか、量子論しか知らないせいか、あるいは、事実、彼がそれを意識しているのか。
こんなときは、ネットで検索。あれ?
タップダンスのミュージカルである。セビアン・クローバーなんて、知ってたわけではないが、これからタップを志す自分の意思を強固にする意味も込めて、チケットの価格に目を瞑って購入。
爽快。ビリビリした。
初台の新国立劇場で。1番の目当ては「水と油」というグループ。一発でファンになりました。是非彼らの次の公演を見たい。紹介してくださったサークルOBのセンスに感謝。
しかし、表現ダンスというのか、現代芸術というのか。基本的に、難解である。自由度が高すぎるというか。あまりに好き勝手なので、完成度の高さが感じられない(唯一「水と油」からそれが感じられた)。あるいは綿密に計画された動きなのかもしれないのだが、そう見えないのだ。
完成度という尺度を分析すると、日常をかけ離れた直線的な動きや対称的なポーズ、あるいは複数の人間の調和、タイミングの妙、といった要素でできているようである。これらは、いわば人工的な要素であって、作為的であって、それを排除するという芸術的観点があっても悪くはないとは思うが、そのベクトルを混沌という尺度で見れば、スキルのない芸術初心者たちの領域へと向かっているのである。
カオスが、その深遠なる構造を隠してランダムの集合に紛れるかのように。
ちょっとしたいざこざも、長年の信頼で希釈される。
ようやく行ってきました!大好き。建物の構造とか細かい仕掛けとか。2本のショートフィルムも、短い中にぎゅっと詰まっていて、贅沢な感じだ。
なんか、工作したくなる。小学生のときに見ていたら、もっと夏休みの工作を頑張ったかもしれない。
念願叶って、今後数回、コメディストアのショーの前後にテーブルマジックをやらせていただくことになった。出演というほどではないものの、自分自身が好きなショーに参加できるというのはとても嬉しい。
是非是非見に来てください。
「インプロワークショップ・ベーシッククラス」に参加してきた。今日が初回で、今後、週1回ペースで5月まで。東京コメディストアに初めて行った日からかれこれ2年以上経過し、通算回数も20回以上になる。むしろ遅かったというべきかもしれない今日、ようやく、即興を演じる側への第一歩を踏み出した。
内容は、創造力と想像力を試されるゲームの数々。そんな中で、アイコンタクトやボディーランゲージの大切さを体感してゆく。特に印象的だったのは「無条件に全てを肯定する」という、即興独特のルールだ。なにしろ即興だから、相手が次にどんな反応をしてくるのか分からない。全く予想外の返答が返ってくるかもしれない。でも、必ず、それを飲み込んで次につなげてゆく。
否定するほうが簡単なのだ。けれど、お話は先に進まなくなる。なんだか心当たりがあるぞ。会議とかで。