アーカイブ ‘ 2003年 1月

観光失敗

奈良で学会に出席(聞いてただけだが。)17時に抜け出す。奈良駅までのバスの中で、陽気な運転手さんに話しかけられ、奈良の町案内を聞く。ライトアップされた興福寺とか雑多な商店街とか見所のない猿沢池を駆け抜けて1時間。近鉄奈良駅から京都へ。18時過ぎに到着。タイムリミットは3時間。なにをしろと?誰もいないお寺にでもいってやろうか。あぁ、しかし。。。そもそも入場できるのか?微妙な時間だ。なんかないのかぁっ!

などと、気持ちばかりは焦るものの。観光案内もout of serviceだし。本屋に行って観光本を数冊あたったが、得るものなし。結局、駅前の商店街で時間をつぶすことになった。せめておいしいものでも食べようかなどとも思ったが。外食は苦手なのだ。特に和食はいけない。甘いから。

京都タワーとか。どうしてこう、お土産屋というのは下品なのか。冷静に見ればいくつか良いものをみつけることも出来るのかもしれないが、なんかこう、落ち着きがないというか。店員が悪いのか?陳列の仕方がまずいのか?原因はよく分からないのだが、とにかく。何も買う気がしない。

次回はちゃんと下調べをしよっと。そして、もっとゆっくりしよう。

遠くて懐かしき雑談

明日の学会に出席するために、京都に来た。東京を出る直前に、ふいに思い立って、京都大へ通う友達に電話をかけ、急遽会うことに。高校時代、わずか3人だったマジック愛好会の1人だ。彼の家に上がって、彼が大学のサークルで演じた演技を見せてもらいながら手品の話をしたり。彼の専攻は心理学で、ちょうどニューラルネットワークや遺伝的アルゴリズムやゲーム理論に興味があるとのことだった。僕の得意分野だ。僕も幸い、一般教養で行動心理学を取っていたこともあり、そのあたりで話が盛り上がる。チューリングテストとかミームとかプログラミングとかJAVAとかオブジェクト指向とか研究者の使命感とか役に立たない研究とか研究費とか芸術とか環境とか拡散して拡散して拡散して。

もう一人、会いたい友達がいて、また思いつきで電話などかけたのだが、「お客様の都合でおつなぎでき」なかった。ちょっと心配だ。

懐かしき雑談

夜も遅くに地元の駅へ帰りついたところで、偶然、中学時代の友達に出会った。軽く話を始めたらいろいろ話し込みたくなって、駅前の小さな食堂へ。フリードリンクのみを注文。

経済学で用いられる数学が分からないというのでその講義から始まって、経済のどのあたりが文系なのかとか文系ってなんなのかとか勉強に対する意欲がどうのとかおまえって結構人間ぽいんだなとかいったいどんなやつだと思ってたんだよとかうまく行かないこともあるさとか生き方が真面目だなぁとか。言ったり言われたり。

3ヶ月周期くらいで、やる気充実だったりやたらと話を聞きたがったり誰かに会いたくなったり他人なんか割とどうでも良くなったりしますね、僕の場合。

傘の忘れ物にご注意

雨だった。夜には風が強くなるというので、珍しく、折り畳みではない傘を持って学校へ行った。
風はそれほど強くならなかった。雨はそこそこ降った。帰りの電車はいつもどおり混んでいた。どうも、電車の中にモノを忘れる回数が平均より多い気がする僕は、電車の中で、なにやら緊張していた。けれども、読書を始めると、いつのまにか緊張も忘れていた。
降車間際。ふっと何かが頭をよぎった。傘。左手にかかっている。良かった。ちゃんと持っている。今日は、へまをせずに済んだ。丁度、読書がいいところだったので、ぎりぎりまで読み続けたくて、すぐに意識を戻した。ドアが開いた。本を読みながら、電車を降りた。
あ、傘!
ちゃんと左手に持っている。よしよし。エスカレータを上りながら、本をカバンに。。。
カバンに。。。。?
カバンが、走り行く電車の窓の向こうに一瞬見えた。
1/28 朝に、無事回収。被害なし。

草加市フォーラム マジックショー

草加せんべいで有名な、草加市です。(草加せんべいが有名かどうかはここでは言及しない。)そこの、市のイベントで、「リング」「らせん」「ループ」で有名な鈴木孝司さん(リングラセンループが有名かどうかは。。。有名ですね。)の講演会というのがありまして、その、前座に、30分のマジックショー。

夏芙蓉の準備と卒論と家事の合間を縫って、(合間は必ず存在する。)着々と準備をしてはいたのですが、案の定(そんなことではいけない。)当日は関係者の方々にはいろいろとご迷惑をおかけしました。

まあ、今回は。無理を承知であえて挑戦したというか。出来る範囲の精一杯の2割増を目指してまして。手抜きよりは良いかと。などと自己弁護。

少ししたら、観客のアンケート結果をいただけるとか。楽しみやら怖いやら。

ノンフィクション・ホラ話

地元の駅を降り、家まで徒歩10分の道中の出来事である。

駐輪場のあたりに差し掛かると、ラジオの音声のような、雑音交じりの声が聞こえてきた。駐車してあるバイクのどれかから鳴っているのだろうか、などと思いつつ、小走りで先を急いだ。だんだんと音が大きくなるので、音源に近づいているのだろうと思ったのだが、奇妙なのは、駐輪場を過ぎたころになっても、予想ほど減衰せずに聞こえてくることだった。

気付くと、雑音はほとんど消え、声がはっきりと聞き取れるまでになっていた。日本語ではなかった。聞きなれない言語だ。背後から聞こえてくる。音量が小さくならない。ラジオだと思ったのが気のせいで、生の声のような気がしてきた。振り返ってみた。誰もいなかった。また少し小走りした。

声がだんだん大きくなった。思考が加速し、暴走し、凍り付いて、止まった。体が緊張している。何が起きているんだ!

ラジオでした。今日たまたま、自分のカバンの中に入れていたのをすっかり忘れて。音量ダイアルに金具が引っかかって、上下振動で回るようなメカニズムが偶然出来上がったらしい。

「夏芙蓉」

今日が、本番でした。本番前のそわそわする感じとか。ああ、懐かしい、心地よい。

演劇の中で手品をするという夢が実現。それも、僕が師と仰ぐ先生のもとで。しかも、何度読んでも楽しめる、大好きな台本で。うわぁ、なんて幸せ!

またこんなチャンスがあるだろうか。もちろん、待ってるよりは、掴みに。

visualization

「可視化」と訳される。僕がいま大学で研究しているkeywordだ。計算機が吐き出す膨大な数字を、如何に人間に見やすい形で表現するか、といったような意味だ。

みんなの歌か何かで、あの子の心の中が見える眼鏡が欲しい、とかなんとかいう歌詞があったのをふと思い出した。心の中が、見える?自分の心の中は、見えるのか?色か?blueとか、redとかgrayとか?映像なのか?映像だとしても、写真のようなものとはまったく違って、非常に柔軟で、抽象的で、速い。

生まれつき目の見えない人には、自分の心の中は、どう「見える」のか。きっと、見えない。そういう人たちは、聴覚が鋭くなる傾向がある。「聞こえる」のかもしれない。そう、きっと、音で出来た想像の世界を旅するのだ。夢もきっと、音で綴られる。

他人の心の中を「感じる」道具が欲しい?いや、持っている。使い方を覚えるのに、まだまだ時間がかかるだけだ。

たまには他愛もない日記

頂き物の果物が山ほどあったので、これまた頂き物のなにやら高級なチーズ(フランス産:ニュイサンジョルジュ)と、昨年末のパーティーの残りのクラッカーとで、antipastoだけみたいな朝食。

親を最寄り駅まで車で送る。

午前中は買物と雑用。郵便局へ行って不在通知と引き換えに小包を受け取り。生協。大学生協ではないのだよ。米5キロと、強力粉を購入。あ、セロリが半額だ。しおれかけてるけど、昨晩煮込んだスープに加えてしまえ。さらに別のスーパーへ寄って、牛乳を購入。さらにさらに、ホームセンターへ生ゴミ用のゴミ箱を探しに。今週からゴミの分別がさらに厳しくなるのだ。しかし、よさそうな物がない。新聞を縛るためのビニル紐がなくなりそうだったのを思い出して購入。

ああ、午前中が終わってしまった。主婦とか主夫なんて言い方があるが、さて、なんと呼ぼうか。

午後は、学生らしく。

運とかくじ引きとか

吉が出ようと凶が出ようと良い意味で解釈する。まず始めに言っておくが、間違いなく、それが正解だ。

しかし気になるのは、くじ引きの結果というのが「現在」なのか「未来」なのかという点であって、更に言うなら可塑性が、つまりどの程度の時間単位で有効なのかという点である。

いや、あるいは。。。「過去」。。。?そうそう、実はそれが正解ではないかと僕は密かに思っている。

宝くじが当たった。なんて運がいいんだ!大穴を当てた。ツイてるぜ!!これが、正しい用法である。運が良かったから宝くじが当たったのではなく、当たった結果、運が良かった、と言うのである。運のよさというのは常に過去の統計であって、未来を左右するなどというのはまったくナンセンスだ。

テレビゲームなどで、幸運の種とかいうアイテムがあって、食べると「運のよさ」が上がったりするが、これは、幸運の種というのが極めて希少価値のあるアイテムで、それを食べることが出来てラッキーだったと解釈するほかない。

さて、くじ引きの話に戻る。。。何も言うまい。

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