アーカイブ ‘ 2002年 12月

省エネ効果

たとえば、チューブに入った歯磨き粉とか、マヨネーズとか、わさびとか。最後の最後まで絞りきろうと必死になるわけです。悪くない。モノを大切にする心。良いことだ。

しかし、残ってるのって、せいぜい1%くらいではないの?一生の間に100本使う?せいぜい200本?一生かかって、ようやく2本のマヨネーズを救えるのです。業務用のそれが、どれだけの本数捨てられているかと思うと。

もちろん、チリも積もれば、だ。そんなことはわかってる。だけど、だけどさ。多分、駆け込み乗車をして電車のドアが余分に一回開閉するだけで、吹っ飛んでしまうのだ。苦労と効果はいつだって、比例しない。

量子的記憶

記憶するという行為自体が、そしてさらに、思い出すという行為自体が、記憶を破壊し、劣化させる。文字の記録だけが残っても、そのときの自分の感情、記録されなかった感覚は、あまりにも繊細で、あまりにも膨大で、もはや失われる一方なのだ。

記憶は、量子に似ている。多分、偶然の一致だろう。

再生のたびに歪められてゆく。自分に都合の良いように再編成されて、新たに刻みなおされる。ほんの僅かに、それを感じることが出来る。それだけが、救いだ。けれど、知ったからといって、破壊を止められるわけではないから。知らないのと、同じことだ。同じことか?

「奥様はネットワーカ」(森博嗣)を読んでます。影響を、受けている。もしくは、共鳴している。いや、両方だ。

追記(1/1): こんな日記 離散化と記憶 を発見。

インフルエンザ・コメディー

水曜日。夕方から鼻水が止まらなかった。家に帰ると酷い高熱で、頭も痛かった。とりあえず寝込んだ。

木曜日。一日寝込んだ。風邪の常備薬を飲んだ。効き目がないので、インフルエンザかも、とか思った。

金曜日。一向に良くならないので、内科に行った。風邪ですね、と言われた。「インフルエンザはまだ流行ってないので」とか言われた。正直、意味が良くわからなかったが、医者を信用した。風邪薬をもらった。その日の晩、水曜に会った友達がインフルエンザだったと知った。

土曜日。もう一度内科に行った。淡い期待をしながら、昨日と同じ医師を指名した。「熱は下がりましたか?」とか言われたので、「水曜日に会った知り合いが」と、事情を簡単に説明した。正式なインフルエンザのテストを受けた。B型ですね、珍しいですね、とかなんとか言われた。昨日の薬はもう飲まないでくださいとか言われた。インフルエンザ用の特効薬というのを処方された。僕は、同伴の父親に「ワクチン打ってもらえば?」と言った。同じ医師が打った。打った後に、効き目が出るまで2週間かかります、と言われた。この医師はどこかおかしい、とそのとき思った。

薬局で、インフルエンザの小冊子をもらった。たったいまもらった薬は、最近許可されたばかりの、インフルエンザの特効薬と書いてあった。ただし、感染48時間以内に飲まないと効果がない、と明記してあった。水、木、金。。。。

せめて、誰かが笑ってくれれば、僕がこの経験をした価値があると言うものです。

子供と遊ぶと

昔から、僕は子供に好かれる。手品をはじめるもっと前から。こういうのは、きっと才能というのだ。

カンボジアの子供たちの輝くばかりの笑顔を思い出す。あの子達はきっと幸せだ。日本の子供たちのほうが、僕はよほど心配。

Tap start

ようやく見学に行ってきた。最初の一歩だ。俄然やる気が出てきた。

忙しいほど、結局全部うまくいく。今までだって、ずっとそうだった。どんどんスケジュール詰め込んでやる。

あぁ、、なんてロジカルなんだ、僕って人は。

数学志向初版公開。数学が苦手な貴方は是非。(数学好きな人は、ほっといても読んでくれるに違いない。)

論理至上主義

自分を良く見てもらうことを目的とするのが偽善だろうか?僕はそれは アリ だと思う。目的はなんにせよ、行動を起こして、良い結果が出るのであれば。それは正しい。校内の人気者になるためにごみ拾いをしたり。大歓迎だ。どこに責める理由があろうか。

反対に、偽善者と見られてしまうことを恐れて、行動を起こせない場合がある。それは、とてもマイナスだ。

RPG

ゲームの中のキャラを鍛えるより、自分を鍛えたら?

成長を認識することが鍵。

感情と、僕と、再構築。

1つではなくて、いろいろな要因が重なっていたのだと思う。そう思いたいだけかもしれない。学校のことと、家族のことと、もっとプライベートなことと、もっと些細なことと。それは、ここには書かない。読んで面白い類のものではないから。

怒りに任せてモノを投げつけるとか、壊すとか、叫ぶとか。テレビドラマなんかを見ているとしょっちゅう出てきて、ああ、これは怒りを表現しているんだな、で、みんな、これを見て、真似をするんだろうな、って。そう、思ってた。感情なんて、意思でコントロールできるものだと。信じて疑ってなかった。

その、僕が!今日は、もう、どうにもならなくて。夜。一人。外を走った。誰に見せたいわけでもなく。誰かに何かを伝えたいわけでもなく。何かを思い出したくて、バドミントンラケットを持って。涙、こらえながら。こらえきれずに、泣きながら。走った。苦しかった。

緑色の金網に。ラケットを投げつけた。誰に見せたいわけでもなく。誰も見てないのを確認してから。衝動だ。これが、衝動か。一瞬。僕の中で何が起きた?こうするとすっきりするような予感がしたのか?誰かに、どこかで密かに、そういう風に教え込まれたのか?わからない。もう、わからない。

ラケットを拾って、また走った。また泣いた。ああ、でも。頭の中だけではどうしても思い出せなかったことを、少しずつ思い出してきたような気がした。

中学生のある日。部活動の仲間と喧嘩して。先生に怒られて。「走って来い」っていわれて。泣きながら走ったっけ。ラケットを片手に。

くたくたになるまで走って。呼吸を整えながら。あ、僕、少しだけど、笑ってる。

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