アーカイブ ‘ 2002年 6月

部屋を片付けるプロジェクト

自分を変える第一歩は、現状の正確な認識と、外部への宣言である。というわけで、本日を第一回として、近い将来、このページに自分の部屋の写真を公開する事を目標とし、その進行状況を時折書くことにしようと思う。

まず、なぜ僕の部屋が片付いていないのか。部屋を片付けるのに役立つと思われる本を3冊ほどは読んでいる。しかし、どの本も「部屋で何らかの作業をする」ことを前提にしている。これがいけない。なにしろ、僕は部屋にはいないのだ。今の僕にとって部屋というのは、外から帰ってきてカバンの中身を出し、夜寝て、朝起きる前に外に持ち出すものをカバンに詰める。それだけの空間でしかない。言わば、倉庫である。だから、いわゆる部屋を整頓するあらゆる理論は、僕には適用できない。

じゃあなぜ散らかるのか。これは単純だ。インプットがアウトプットを上回っているからだ。インプットを整理するのには時間がかかる。しかし、その必要な時間の分だけ僕は部屋にいることが出来ない。短時間でアウトプットを増やす何らかのシステム(しかも倉庫という機能に最適化されたもの)を構築しなければならない、というところまでは考えたのだが。今日はここまで。

倉庫を整頓する理論書をご存知の方はご一報願いたい。

続:有事法制

で、行ってきたのです。彼らの「勉強会」に。我ながら天晴れな気まぐれ具合。一昨日読んで、一応メールで問い合わせて、今日参加。でも、こういう身軽さって、大切じゃない?

会の主旨は「賛成、反対という風に意見をぶつけ合うより、現状をより正確に知ってもらう」ということに徹底しており、その点は好感が持てました。以前にも書きましたが、賛成、反対、という自分の意見を持つことに僕は意味を感じません。

元自衛官の現民間航空パイロットさんのお話と、石川島播磨の現場で働いている方のお話。どちらの方も現状の複雑さをよく理解しており、賛成反対取り混ぜたよい話だったと思います。

話を聞いた以上、なにか自分にできる形で運動をしようとは思う。といって、デモ行進に参加しようと思うわけではなく(それはそれで楽しそうだけれど。)。僕にできる最善のことは、僕にしか出来ないようなことをすることです。

有事法制

やっと見つけた。賛成意見。そう、賛成意見を読みたかったのですよ。反対している人たちは必死だから、反対意見はすぐ見つかるんですが。

Who is YUJI? の左下、「みんな・あなたの意見」に、賛成反対双方の意見が載っています。

そして、何を言いたいのかというと、「反対意見」が、なんだかなぁ。と。戦争の悲惨さを書き並べて。一般論を繰り返して。どうしてどこにでも書いてあることを、ここで繰り返したがるのだろうかと。そんなことわかった上で賛成している人たちがいる。それを不思議に思わないのかな。「死にたい人なんていないはずです」なんて。どうして簡単に言い切れるのかね。「賛成意見」のほうがまだ説得力があります。それなりに知識を持った人でないと賛成意見は展開できない、というだけのことですが。

いや、別に僕が賛成派だといっているわけではないです。僕の何倍も知識の有る人たちが、僕の何倍も議論を重ねて、まだ結論を得ていない。これが事実です。意見を述べるにはもっと知識を得なければ。

遭遇

「なんでそんなにずばずばと僕のことがわかるんですか?」

「そんなん、見ればわかるやん。空気みたいのが出とるやろ。」

納得せずにはいられなかった。彼自身の出す圧倒的な存在感の前に、僕は恐縮していたのだ。

科学博物館

きまぐれで、上野の国立科学博物館に行って来た。ノーベル賞百周年記念の特別展示期間が今週いっぱいということで、滑り込んできたのである。

まずは、常設展示の化石類。恐竜の化石。でかい。知識として知ってはいたが、実物を前にすると、でかい。いや、過去に見たこともあるはずだ。初めてではない。しかし、改めて、でかい。物理を学び、多少の生物学を学び、多少地球の歴史の知識を得、進化のメカニズムを学んだ今、改めて、でかい、と、感じるのだ。不思議、と、感じるのだ。過去に感じたのと違う階層で、不思議、と、感じるのだ。創造主の気まぐれは計り知れない。

次に、ノーベル賞コーナー。ノーベル賞に関する様々な逸話の類、各受賞者の交流や情報交換の経緯や取り巻く環境といった横断的な情報はどれも興味深かった。

そして、期待通り、ちゃんとあった。先日会ったばかりのタン・チャナレット氏の名前入りの車椅子、ICBLの紹介文、受賞シーンの映像も見ることが出来た。こうして、湯川秀樹、朝永振一郎と並んで展示されているのを見ると、先日の講演会は実にラッキーだったな、と思う。

受賞者達と、自分と、比べてみる。足りないのはなんだろう。彼等を、別世界の手の届かない存在と思ってしまった瞬間から人生は下り坂になる、と信じている。今はまだ、少しでも近づこうと思っている。

その後、森を探検しようコーナー。すずむし、こおろぎ類の鳴き声を聞き比べたり、モモンガの視点で空を飛ぶ映像を見られたり。工夫を凝らされた、よい展示だと思う。続いて、身近な科学コーナー。原理的には高度な内容の実験を、結果を肌で感じられるようによく工夫されている。子どもの興味をそそる、という表現があるが、僕はここで「子どもの」という表現を使いたくない。子ども心を忘れてしまった大人たちにこそ、この感動を味わってもらいたい、この感動を楽しめる感性を取り戻してもらいたいと思う。

朝一番に入館したが、気づいたら4時間経過していた。授業を1コマ損した。まあ、今回は仕方がない。

ハープ

父親の会社のイベントでハープの生演奏が聞けるというので出かけていった。最近はとかくこの手のチャンスは逃さないようにしている。

ハープというのは初めて見た。あんなにデカイとは。僕の知っている楽器の中では、ピアノの次に大きい。ベースより大きい。全然知らなかったのだが、実はペダルが7つ付いていて、ドレミの音階に対応してそれぞれ半音あげたり下げたり出来る。西洋音階にのっとったなんとも合理的な構造だ。

演奏会はクラシックがメインだったが、合間に「いつも何度でも」とか演奏されると思わず聞き入ってしまう。きっと、曲自体がうんぬんというよりも、映画のシーンが同時に思い起こされてくることによる効果だろうと思うが、さて、初めて聞いたときはどうだったろうか。もはや思い出せない。音楽評論家ではない僕にとっては過去の印象なんて多分どうでもいいことだ。

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